2ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ちょっとまじめに考えてみない?今の日本文学

1 :吾輩は名無しである:03/12/04 14:14
ここでは、現在進行形の作家(少なくとも生きていて、駄作であっても執筆活動は続けている)について考えていきたいと思ふ。

2 :吾輩は名無しである:03/12/04 14:16
2だったら、これから渋谷に行く。

3 :吾輩は名無しである:03/12/04 14:17
個人的な考えではなくて、一般的にどの作家が優れているとされていると思う?

4 :吾輩は名無しである:03/12/04 14:18
売れ行きだけで見れば村上春樹だろうけど。

5 :吾輩は名無しである:03/12/04 14:20
をれの考え(個人的だけれど)としては、その他はあまりにも大衆化しすぎていると思うのだが。


6 :吾輩は名無しである:03/12/04 14:24
売れ行きなんてマスコミの手で操作できる。
大衆なんて簡単に騙されるもんだね(俺も含めてだが)

一時期、大江健三郎がノーベル章とったとき、
文学ブームらしきものが来たけど、
大江の作品があまりに大衆向きじゃなかったためすぐ冷めた。
あんとき、村上春樹がとってたら、ヤバかっただろうな。
まぁ、とんなくていいんだけど、春樹なんて。
というか、とれないか。

7 :吾輩は名無しである:03/12/04 14:28
確かに村上春樹が取ったら大問題(笑
かいがいで評価されている彼だがこれもやはりマスコミ等の操作だろうか

8 :吾輩は名無しである:03/12/04 14:30
>>6-7
嫉妬って怖い

9 :吾輩は名無しである:03/12/04 14:39
でもこの時代に村上春樹と張り合える作家がいないのは事実かも。

10 :吾輩は名無しである:03/12/04 17:15
張り合える、というと?

11 :吾輩は名無しである:03/12/04 17:38
川相の移籍先について本気出して考えてみた。

12 :  :03/12/04 22:21
物語文学の成長について語ってみよう・

13 :吾輩は名無しである:03/12/04 22:23
http://www.geocities.jp/itimojikannnou/
官能小説はいかかがよ?

14 :  :03/12/04 23:35
>13は・・・

15 :吾輩は名無しである:03/12/05 01:17
クリスマスのプレゼントに妹だの彼女だの姉だの非現実的なお願いをサンタさんに
してる輩も居るくらいなんだから
僕の事をお兄ちゃんと呼んでくれて
隣に住んでいてベランダからお互いの部屋に行き来出来て
僕の部屋に当然のごとく着替えや歯ブラシやぬいぐるみ等私物を置いて
僕に女の子もしくはそれに類する者から電話が掛かってくると
不機嫌になって耳を側立てて突然
「お兄ちゃん一緒にお風呂入ろー!」と大声を出して電話の相手と僕を激しく動揺させたりして
そのまま勢いで本当に一緒にお風呂に入って眠くなると僕のベッドで勝手に寝てしまって
登下校は何時も一緒で年が2、3歳しか違わないけど
外見は小学校高学年〜中学二年生と見間違う程ロリで
子供扱いすると逆上して上着を脱ぎ「これでも子供って言える?」と胸を強調してくるけど苺柄のお子様ブラで
実際子供だったりするリアル美少女友達なら髪型は問いません
と住所指名年齢を明記してサンタさんに葉書を出してる僕は相当現実的なんだな。
アハハハハ。


16 :吾輩は名無しである:03/12/05 01:23
    シィノオミミー     ∧∧
      ∧,,,,,      (゚Д゚#)てめえなんてこうだゴルァ!!
 。・゚ ゚・(;>O<)・゚ ゚・. ∧と  |
    と  つ       |  |〜
   〜O,,*,,つ      し`J

  ハニャーンシィノオテテー  ∧∧
      ∧,,,,,      (゚Д゚#)次は手だゴルァ!!!
 。・゚ ゚・(;>O<)・゚ ゚・ つと  |つミ
    と  @ ブチ   |  |〜   ∧
   〜O,,*,,つ      し`J

  シィィィィノアンヨーーー  ∧∧
      ∧,,,,,      (゚Д゚#)次は足だゴルァ!!!
 。・゚ ゚・(;>O<)・゚ ゚・ つと  |つミ
    と  @      |  |〜  つ
   〜O,,*,,@;;,,.ブチ . し`J       <
       .:;..

   シィィイイィィッ!!
      ∧,,,,,                  ∧ ∧
 。・゚ ゚・(;>O<)・゚ ゚・               (,^Д^)ははは♪
      @;;;;;@                 |⊃|
      @,,*,,@                   〜|  0
    ,;.:;||.:;...                し'´
  ,;.:;;,,.:;∴;・;;,,..   ,;.:;;,つ;.:;;,<@;;';
             ;;,,.:;∴;・⊃#;;';, ;.:;;;';
              ;;';;.:;;, ;;,,.:;∴#;;'

17 :吾輩は名無しである:03/12/06 21:57
>10
売り上げでもそうだし(一発出す作家はいるけど、持続性がない)、いくらあからさまに文学性を提示しているって言っても、そのあからさまな文学性さえも書くことのできない作家ばかりだし。
第一そのあからさまな文学性のおかげで、大衆小説にならずに純文学作品として扱われている理由だろうけど。(純文学って死語か?)

18 :吾輩は名無しである:03/12/11 22:30
age

19 :吾輩は名無しである:03/12/12 22:51
age

20 :吾輩は名無しである:03/12/12 23:35
ライトノベルが進出してきた。
このごろの文学新人賞も胸を張ってこれは純文学作品だと言えるのは数えるほどもあるだろうか?

21 :吾輩は名無しである:03/12/12 23:38
今優れた作家が登場しないのは、日本だけだろうか?


22 :吾輩は名無しである:03/12/12 23:41
>21
アメリカではそれなりの作家は出てきてると思うよ
今世界的にみてアメリカ文学に関心が寄せられているみたいだし

23 :吾輩は名無しである:03/12/12 23:44
確かに、どれも似たような傾向の小説ばかりだな。
直木賞とった某作家もえくにに似てるし。
影響受けたのばればれ


24 :吾輩は名無しである:03/12/13 10:41
>>20

質問なんだけれど、
みなさん純文学ってどういう意味でつかってます?

感覚的なものじゃなくて、
具体的なものとして説明してほしい。

感覚的にしか説明できないのであれば・・・

25 :吾輩は名無しである:03/12/13 19:00
>>21
日本の場合、平野さんなんてどうでしょう??





26 :25:03/12/13 19:07
日本文学の流れというものがいまいちよく分からないのですが、
いわゆるポストモダンを、つまり、開かれた物語を意識して
書かれているらしき作家さんはいらっしゃいますか?
例えば90年にBookerをとったByattは、研究になるだけの素材だと思います。

>>24
専門的に読む側からする(←こう言うのも正しいといえないかもしれないw)と、
無限に広がる解釈の可能性を与えてくれる文学作品を純文学と呼びたいです。

27 :吾輩は名無しである:03/12/13 21:06
それは変だろ
どうにでも解釈できるんなら駄作だっていうこともできるし
小説を純文学とそれ以外にわけるなら後者の場合は著者の主張が物語としての
エンターテイメント性にかき消されてもそれはそれでよいわけで(それはおも
しろさによってカバーされても成功だから。
純文学の場合は決してそうであってはならない。著者の主張がなによりも優先
されるからだ。

28 :25:03/12/15 00:36
「著者の主張」ということは、
テクストを作者のものであると考えるからかな、、と思います。

私の立場としてはテクストに対する読者の解釈に重きを置きたいと思います。
文学史を形作るような、いわゆるキャノンがいかに生成されてきたかを考えると、
読者の役割の大きさはいかんともしがたいものだと思います。

その上で、優れた文学作品といわれるものが時を超え、今まで読み継がれるというところには
一作家の主張を超え、時代を超え、様々の時代に、様々の国の人々に解釈の幅を与えるいう効用があると思います。

27さんのおっしゃるエンターテイメント性というものが、
ある時代のたかだか1・2年でしか受けないような、商業主義的なものである場合は、
もちろん、無限に広がる解釈を到底与えてくれるものではありませんよ。




29 :27:03/12/15 09:42
うんだから純文学以外の小説は時代の流れからふり
落とされるから別にいらないかなと俺は思ってる

30 :吾輩は名無しである:03/12/15 12:02
ということは、
10年20年たってみないと、
どれが純文学作品かわからない、
ということで良いのでしょうか。

31 :25:03/12/16 13:12
そういうわけでもないかも・・
例えば、
柳美里さんとか、日本社会の中において民族的にマイノリティの、しかも女性が書いた小説として認められた側面があると思うのです。
その点で、例えば、・・不勉強なので、もっと適当な作家が思い浮かばないなぁ・・
ちょっと比較にはかわいそうだけれど、トニ・モリスンは、黒人女性のアイデンティティを描いてノーベル賞もらってますよね。。

スピバックがいうところの「語ることができなかった」マイノリティの女性が語るという点で、
例えば社会的差別を生み出す二項対立をどのように描き、その問題点をいかに解消しているかを分析してみると
その作家の持つ思想性の所在が明らかになるし、
文学的側面としては、それが、キャラクター設定やプロット展開のなかで、
いかに審美的なかたちでより完璧なかたちで表現されているかで、
それが、優れた文学かどうかは、ある程度は絞れてくると思います。

で、1の論題に戻すと、こういった比較をすることで、
今の日本の文学の世界との差は理解できるのではないだろうかと思います。


32 :25:03/12/16 13:30
しかしながら、ここで付け加えさせてもらいたいのは
私の場合、「純文学」という言葉について語るときは、とりあえず、
古きよき文学、その普遍性を信じて疑わない頃の文学観を前提としています。
フーコーに「正当性」というものが歴史の中でいかに作られてきたかが明らかにされた今となっては
文学のキャノンが不確かになってしまったのは確かだと思うので。。

「純文学」というのは、フォルマリストが小説の言葉を日常から切り離された審美的な言葉として、
社会からも作家からさえも切り離して分析するようになってからではないかなと思われますが、どうでしょう?

逆に、文学の審美性、文学のよしあしを論じて、キャノンを作り出す作用のある
文学研究は、最新の文学理論の中で自らで自分の足元を崩しているようにしか思えないので…
読む専門家の意見もビミョウかと、自ら思われ。。

33 :吾輩は名無しである:03/12/17 15:29
おお、まともだ。
25さんの言ってるのって、「決定不能性/決定可能性」の問題ですよね?
僕も文学が読む/読まれるの関係を前提とし、伝わるためには「恐るべき飛躍」をしなくてはならぬため、
作者の解釈、読者の解釈は分かれざるを得ず、そしてそれらに有意な優劣をつけられるか、という問題は出てくると思います。

日本で最も深く決定不能性について考え、しかも物語るということとの両立させんとしているのは
やはり大江健三郎や安部公房が挙げられるとおもいます。
日本ではなくなりますが、ノーベル賞とったクッツェなんかも意思伝達の困難さということに非常にこだわった作家だと思います。

34 :33:03/12/17 15:44
おっと補足。
ポストモダンにおいては開かれた物語が多く書かれましたが、それは小説の作者から物語を開放しようとする試みであり、目的ではないと思っています。
90年代後半くらいから、テキスト形式自体への改変なしに物語の従属を乗り越えようとする試みが目立っています。

ただ、25さんが言っているのが形式として開かれた物語なのか、作者に従属しないという意味での開かれた物語なのか僕にはわからないっす。
もし後者だったらごめんなさい。

35 :吾輩は名無しである:03/12/17 15:45
人と人は意思疎通できない、という前提をふまえているのが純文学。
そこでは、登場人物間に共通の問題が設定できない。

その段階を無視して、なんかしらんが、
全員が同じ問題意識をもってるのがエンタテイメント。

だと私は分類しています。



36 :吾輩は名無しである:03/12/17 16:30
同意。

意思疎通はできないが感化しあう過程をかいたものが純文学。
その感化が意図したものかは分からないが他者と出会うことで変わることは書ける。
しかしどう変わったかは作者と読者で異なる。
作者と読者の意思疎通も完全には不可能だから。


37 :吾輩は名無しである:03/12/17 16:36
ドストエフスキーがそんなにつまらんことばっか書いてたか?


38 :吾輩は名無しである:03/12/17 16:41
え、意思疎通できてない状況ってすごいおもしろいと思うけど。

39 :吾輩は名無しである:03/12/17 16:45
というか、なぜにドストエフスキー?
純文学っていったらドストエフスキーってことになってるの?
別にいいけど、ちょっと不思議。

40 :吾輩は名無しである:03/12/17 18:12
>>31
柳美里が日本国内における民族的マイノリティでしかも女だから評価された?
確かにそういう側面もあるが、柳はポストモダニックな文学
(ポストモダンな文学、生憎漏れはそんなものは知りません)ではなく、
プレモダンな形式を採用した古典的な小説(と戯曲)を書き、
その融通利かない過剰な自意識で読者の同情や憎悪を煽るような
小説で評価されたと思うし、今の編集者に土下座させるような地位に至った
のだと思うのだが。39が「純文学といえばドストエフスキーなのか?」
と不思議がっているが、このような古臭い通俗的文学観を強烈に押し進めた
からこそ、柳は一般読者には受けるものの、
批評家には殆どまともに論じられない(論じても今更意味がない)小説家
として存在しているので・・・まあ、柳には売りは国籍だけでなく幾らでも
あるし・・・柳についてウザイこと語ってしまった。
長文レス、スマソ。

41 :吾輩は名無しである:03/12/17 23:57
>批評家には殆どまともに論じられない(論じても今更意味がない)
昔、切通理作が書いてた事とかですか?

議論の流れに合ってる自信がないですが、
意思伝達の不可能性で言えば、ラ板のライトノベルの定義などはその極限ですよね?
「あなたが〜」というのは解釈学や認識論の観点(先入見や観察の対象に対する観察者の影響や不確定性、
言語=文化とする言語哲学的な仮説などの、「全ては自分で決めるしかない《但し、完全に自分だけで決めている訳ではない》」という事)
から言えば、当然(と言うか、理解とはそもそもそういうもの)なのに、
あそこでは殆どネタと化している(そして時々、議論のループになる。最近では若手ミステリー作家の西尾維新の読み方について)気がします。

こっから導かれる結論は……ラ板住人は文学の登場人物的……とか。

42 :吾輩は名無しである:03/12/18 00:56
例えば「朝まで生テレビ」を(笑)

1、コミュニケーションの本質(疎通ほとんど不可能)を描いた劇として
議題の軽重に関わらず鑑賞、分析するのが純文学的態度。

2、有意義な議論が行われているという番組の前提を疑わず、
設定された議題の重みを尊重して真面目に鑑賞するのがエンタ的態度。

じゃないかと思うけど、今の日本って、
問題について上のような態度をとる人が
みんな不真面目というか、過剰に冷笑的にそうしている感じがする。
この態度に命をかけてる匂いがあると、文学って気がするんだが。

ところが、逆に、下の態度の延長みたいなの(議題についての真面目さ)
には「命がけ」みたいなのが氾濫してる。
それで、その「命がけ」をもって「これが文学」だと言ったりする。うざい。
ユウミリなんかもこれなんじゃないか? という気がするので、
読む気にならず、読んでない。
どんなに真面目になっても、これは根本的にエンタな態度。
それが悪いというわけじゃないが。


43 :吾輩は名無しである:03/12/18 03:53
優れた作家は確実に存在しているんだろうけれど
それは例えば同人誌の中に埋もれたままであったりする。
まぁ、同人誌で書いてる人達ってのは、殆どが高齢に達しているので
今後も日の目を見ることは少ないだろうな…。

後、小説を読む為の方法というのかな、解読格子というのか、そういったものが
ヤケに幅を利かせすぎてるってのも問題にあるんじゃないか?
たいして的を射ているようには思えない批評や評論なのに、それが奇妙に
小説/小説家を抑圧しているように思うことがあるんだが…。

まぁ、そんな批評や評論に抑圧されてしまったり振り回されている時点で
そんな小説家は糞って言い方もできるわけだけども…

44 :吾輩は名無しである:03/12/18 03:55
スマソ、43は21へのレスね

45 :吾輩は名無しである:03/12/18 04:02
読者もろくにいないのに優れた作家なのか

46 :吾輩は名無しである:03/12/18 04:05
しかも死後に発見されるってこともないだろうね、もう。

47 :吾輩は名無しである:03/12/18 04:13
まずそんな日本文学史上の重大な損失を防ぐためにも
ここで43さんがその同人誌の名前と優れた作家とやらの名前を出すことが大事じゃないかな

48 :吾輩は名無しである:03/12/18 04:17
いやいや、日の目を見るものは見てるべ。
ちょっと前に自費出版で出した若造がいたんだが、
何とそれが10万部ってことで、大手出版社は驚いた。
で、改めて大手から出したら大ヒット。
「Deep love」サクセスストーリーでした。

49 :吾輩は名無しである:03/12/18 04:21
スターツ出版って大手なのか

50 :吾輩は名無しである:03/12/18 04:27
スターツにはoz magazineがあるじゃないか!

51 :吾輩は名無しである:03/12/18 04:32
てゆーかスターツ出版は不動産・旅行代理店・証券会社・住宅メーカーなどをグループに持つ、
れっきとした株式上場企業ですよ?

52 :吾輩は名無しである:03/12/18 04:35
>>47
や、漏れも細かい誌名や作家の名前を覚えておらんのよ…スマソ。

とりあえず漏れとしては、同人誌情報として『文学界』の「同人雑誌評」に目を向けてるかな。
もっとも、なかなか同人誌に掲載された作品を読むのは難しいので、
「同人雑誌評」をやってるメンバー4人+秋山駿・吉村昭が編集委員の『季刊 文科』に再録される
同人誌作品をチェックしてる感じかなぁ。
『季刊 文科』って、あんまり…というかまるで売れてない季刊誌なんで、大型書店に行かないと
入手できないが、なかなかイイ書き手がいるんだなぁと思った。(家に全部あるはずなんだが、どのダンボール
に入れたか忘れてしまった…。見つけ次第、ここにうpするよ)






53 :吾輩は名無しである:03/12/18 04:36
>>52
それって日の目を見てるって言えると思うけど。

54 :吾輩は名無しである:03/12/18 04:52
>>53
まぁそうとも言うなw
でもまぁ、現実には大きな文芸雑誌に掲載されて、広い読者を獲得している
というわけではないんだから、必ずしも「日の目を見てる」とは言い切れないとも思うんだがなぁ

55 :吾輩は名無しである:03/12/18 04:53
あ、スマソ、もしかしてここsage進行だったかな?

56 :25:03/12/18 14:04
のばしてよいかな;??

日本文学畑ではないので、日本文学の流れを正確に把握していないのですが、、

いわゆる近代国家を目指し始めて以降、西洋を模倣し、ある点でかなりの成功を収めていながら、
実際のところ東洋である日本が、その精神において、いかなる分裂と統合を繰り返しえたかに思いをはせるとき、
オプティミスティックであれ、ペシミスティックであれ、日本人の精神的文化を豊かにしうるものであると考えます。

そのような文化的背景を、意識的であれ、無意識的であれ(世にいう天才ですなwディケンズとか・・)
表象することに、キャラクター設定、プロット展開、小説の技法の発展を含めて、
成功する作家が生まれて欲しいものです・・

また社会に対し、作家が霊媒のごとく超然的視点に立つとき、
必然的に自己の観念の壁と他者なしに存在しえない自己という無限ループの問題に対峙することになりますから、
そこに、社会文化や時代を超えた、より普遍的な人間と言うものが描き出されうると期待しています。

商業誌の中であれ、同人誌の中であれ、そんなことのできる人に、いずれ出てきてもらえれば。。と思います。

そんな人を見つけられる審美眼と芳醇な精神性を持った読者に、文学賞とか与える立場に立って欲しいものです;
少なくとも日本一権威があると言われる賞ぐらいは、日本人として恥ずかしいので、正直、考えてもらいたいなと…;

57 :25:03/12/18 14:42
上は長々とスミマセン…;
以下はできるだけ簡潔に…なるかな;

>>33
>「決定不能性/決定可能性」の問題ですよね?
そう言えばいいのか…;知りませんでした;;
>>41
さんのおっしゃっていることに、私はけっこう理解できますよ…
ああ、この言い方は個人的には好きではありませんが、ローカルチャーのほうに
現代思想は取り入れられているように思います。
日本の文学は私小説的な部分に比較的重きが置かれている感があるので、
いわゆるハイカルチャーである「純文学」というと作者の意図となりがちなのかなと。。
>>35
さんの
>人と人は意思疎通できない、という前提をふまえているのが純文学。
>そこでは、登場人物間に共通の問題が設定できない。
観念論やら自然主義(言葉の定義間違ってるかも・・)を中心とした定義が出てくる傾向にあるように感じます・・
…ニーチェ以降かと思うので、外国文学的には、それ以前の名作は??と思うのですが、
近代日本文学に関していえば、そうなのかも・・と思えたりします。

ああ…言ってることが自分の言ってることに脱構築?w
「純文学」を定義がローカルチャーの定義になるとは;

58 :33:03/12/18 16:25
>>>37さん
あえていえば、まさにドストエフスキーこそがそのような問題を取り上げた最初の作家といえます。
「カラマゾフ」における大審門のエピソードはまさにただ異なる二人を描く。
イエスを前にしてイエスの神秘性を知りながら、世界におまえは不必要であると言い放つ大審門官。
彼は神不在の世界において、民衆は真の奇跡など求めていない。奇跡と思わせる権威だけでよいと断言する。
それに対しイエスは何も言わずただ接吻して消え去っていく。
そこに意思疎通はない。しかし誰しも何かが変わったことを感じうる。
この物語を語った兄イワンに弟アリョーシャは何も言わず接吻をする。
兄の意図とは異なる反応であることは疑いない。
しかし「剽窃じゃないか!」と叫びながらも兄は感動を覚える。
そこには言語による意思疎通はなくとも、自分と異なる他者と出会うことによる感化がある。

埴谷雄嵩はかつてこのエピソードについて、かれらには打てばかちんと返るキリスト教という強固な歴史がある。
日本にはそのようなものがない、と嘆いていた。
ある意味日本文学において、普遍に近いテーマが存在しないのは不幸だと思う。

59 :25:03/12/18 17:22
>>33さん
見落としてました。
開かれた物語とは
>形式として開かれた物語なのか、作者に従属しないという意味での開かれた物語なのか
ですが、両方の意味です。
『作者に従属しないという意味での開かれた物語』という概念を考慮して、
メタフィクションの手法を使って『形式として開かれた物語』を書くことを試みている
作家を念頭に置きつつ書いてました;
バイアットもあげましたが、年代としてはもう少し前のファウルズのほうが顕著かもです・・

60 :吾輩は名無しである:03/12/18 17:37
ゴールデンレター
このスレを見た人はコピペでもいいので
30分以内に7つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白され、17日後に
あなたに幸せが訪れるでしょう




61 :吾輩は名無しである:03/12/18 18:26
>全ては自分で決めるしかない
「the answer」という本でもそのような結論になってました。
それと、西尾と同じミステリー作家の森博嗣も、作中にそのような事を何度か書いていますよね?
>いわゆる近代国家を目指し始めて以降、西洋を模倣し
>日本にはそのようなものがない
美術でも同じ事は言われていますし、椹木野衣はよく歴史の不在を引き合いに出すのですが、結局は資本主義の話になるのが残念です。

62 :吾輩は名無しである:03/12/19 11:38
森を本気で語るなよー。

63 :33:03/12/21 16:35
>>25さん
ちょっと名辞矛盾するんですけど、
大江健三郎の「河馬にかまれた男」はどうでしょう。
作者自身がかつて別の小説で、小耳に挟んだアフリカへ行って河馬にかまれた男の話を書いて、
それを読んだ男が実際に訪ねてくる。その様子をさらに連載で書いて、ということが続くのですが、
小説を書くことで現実が実際に変わっていくさまを自分を虚構化して描いています。

作者に従属しない、という言葉と自分の先行作品への自己言及性が違和感あるかもしれないけど、
一旦テキストとして世に出たものが作者の意図を越えて動き出すさまを書いている点で
僕は同じ類の目論見だと思います。

何かあいまいな例ですみません。他の作家日本で思いつきませんでした。
何だかどうしてもパロディやおふざけみたいな印象受けてしまって…
もちろんそれが優劣ではないんですが勧めづらくて。


64 :25:03/12/21 23:56
>>33さん
大江健三郎の「河馬にかまれた男」、読んでみます。
正月明け、成人式ぐらいまで待ってください;

>>61さんの、
多分、上の二つの引用は私のと33さんのとを切り貼り(>>58&>>56)していると
思うのですが、実のところ、私の言う普遍性と33さんのドストエフスキーの
例の普遍性は、微妙に違うと思われるので、違和感があったりするのですが、
どうですか?

私的にはドストエフスキーが、ロシアのようにキリスト教という普遍性がないに
もかかわらず、なぜ日本でも受けるのかというところに、文学の普遍性がありう
るのではないかと言っているつもりなので。
で、その普遍性というものは、宗教も含めた社会という他者と自己の
形成−他者が自己を作るのか、個人の観念の中に他者がいるのかという問題も含
めて−という点なんじゃないかなぁ。と今は考えています。
その上で、歴史的に作られた現代の日本の分裂状態は精神的には健全でなくとも
文学的にはよいものを生み出しうるのではないかと思うのです。

65 :吾輩は名無しである:03/12/22 01:49
普遍性は存在する。
あまりにも当たり前なことだ。

66 :吾輩は名無しである:03/12/22 01:51
【がり勉じゃ】ラ・サール生集えや【ないよ】

http://school2.2ch.net/test/read.cgi/ojyuken/1072024708/l50

【がり勉じゃ】ラ・サール生集えや【ないよ】

http://school2.2ch.net/test/read.cgi/ojyuken/1072024708/l50

【がり勉じゃ】ラ・サール生集えや【ないよ】

http://school2.2ch.net/test/read.cgi/ojyuken/1072024708/l50

【がり勉じゃ】ラ・サール生集えや【ないよ】

http://school2.2ch.net/test/read.cgi/ojyuken/1072024708/l50


【がり勉じゃ】ラ・サール生集えや【ないよ】

http://school2.2ch.net/test/read.cgi/ojyuken/1072024708/l50

67 :25:03/12/22 19:59
「普遍性」というか…正統なものというのが、通時的にいかに作られてきたかを
証明したのがフーコーの系譜学の意義のひとつでは?

68 :吾輩は名無しである:03/12/22 20:21
最近の文学板では珍しいまともなスレ。
健全に育つことを願う。

69 :吾輩は名無しである:03/12/22 23:34
>>32(25)
私の場合、「純文学」という言葉について語るときは、とりあえず、
古きよき文学、その普遍性を信じて疑わない頃の文学観を前提としています。

えーと、現代作家は?何か読んでいないのですか?
現代に純文学はないと?
震えがくるような現代純文学の巨人が同時代に存在してると
私などは思うのですが。
物凄くスリリングな状況が眼前に広がっているとも。

もちろん同人誌在籍の御老体のことではないです。

70 :25:03/12/23 00:46
>>69さん、
そこは、引用文にもあるように「文学観」の話で、批評理論との兼ね合いからの発言です。
つまり、ニュー・ヒストリシズム以前の、「文学」という学問が己の存在自体を疑うことなく
のんびりしていられた頃の「古きよき」文学観だと思っていただいてけっこうです。
ただし、こう書いたからといって、構造主義的な読み方が廃れたとは言うつもりはありませんが、
ここでは、解釈問題を論じるわけではないと思うので、この辺できります。。

ただ、日本の現代作家の文学作品については、ご指摘どおり、まったく貧弱な知識しかありません。
オススメの作家がいるのならば、あげていただけたら読みたいな、と、
で、ちょっとまじめに考えてみたいなと思います。

71 :吾輩は名無しである:03/12/23 00:56
>>69
現代に純文学はないと?
震えがくるような現代純文学の巨人が同時代に存在してると
私などは思うのですが。

具体的には誰なんでしょう? 
漏れは中上健次くらいしか思い浮かばないけれど…。


72 :吾輩は名無しである:03/12/23 00:59
宮本輝。
煽りじゃない。
初期のは普通に純文学だと思う。
最近のは知らん。

73 :吾輩は名無しである:03/12/23 01:24
>>72
輝か…
う〜ん、川三部作はワリと好きだが、う〜ん…

74 :吾輩は名無しである:03/12/23 02:05
>>72
73と同じだけど、初期はいいけど、近作は大衆作品ばかりで、少なくとも純文学では
ないと思う。青年以降の恋愛を扱った作品は特に。

75 :吾輩は名無しである:03/12/23 02:06
輝と中上は親友だったんだよね。
で、晩年の中上が、輝に
「おまえは、長生きしろ」と言ったらしい。(´Д⊂

76 :68:03/12/23 13:42
みなさんsageで書きませんか?
輝は僕も好きですが、たしかに最近のは
一般受けを狙ってる感じもしますね。それがいけないとか
いうことではなくて。

77 :69:03/12/24 00:57
>>25
自分も非常に偏った読書癖しか持っていないのでその辺
割り引いて読んで欲しいのですが、高い志を持って作家
活動している人は少ないけど、危うい状況の中を一歩一歩
進んでいると思う。
個人的には笙野頼子、星野智幸を挙げたい。

あと>>25氏にはもう少し平たい言葉で話してほしい。
学生さんですか?


蛇足ですが宮本輝の作品は読んだことないのですけど、新人賞の
選評などを読むと、この人は何一つわかっていないのではないか
としばしば思わされます。もう現実に起こっている動きに対処でき
ないのではないか、と。つまりもう隠居された方がよろしいかと。
あとこういう場での真摯さも足りないと思う。
(なんでいつまでも選考委員なのか激しく疑問)

>>76=68
そもそも、ここの人口は少ないのですからして自分としては
がんがんageたいのですが。というわけで上げます。


78 :吾輩は名無しである:03/12/24 00:58
メリークリスマス!

79 :ラーラライ:03/12/24 04:31
宮本輝はおいといて、
最近、面白かった本は、なーに?

80 :吾輩は名無しである:03/12/24 05:06
泉鏡花!

81 :吾輩は名無しである:03/12/24 12:52
つまるところ、なぜ人は書くのですかね?最近非常に良く考えています。できれば誰か教えてください。

82 :吾輩は名無しである:03/12/24 13:00
>81
「なぜ、人は書くのですかね?」と、なぜ君は書くのですかね?

83 :33:03/12/24 15:00
>71
日本人でなくていいなら最近のノーベル賞作家軒並みごっついのが揃ってると思います。
あと25さんが上で挙げてたバーネット読んでみたりしました。
やっぱり書くことに自覚的な作家って好きです。

日本文学の話題着いてきたいけどあんまり知らない… 読もう…

84 :33:03/12/24 15:15
>81
暇なため
嫌がらせするため
ほかに何もできないため
生きるため
強要されるため

世界を変えるため
思いを伝えたいため
思考を言語化して留めるため



85 :吾輩は名無しである:03/12/24 18:17
日本文学は、完全に死んだ。

86 :吾輩は名無しである:03/12/24 18:38
大西巨人がいるじゃん

87 :25:03/12/26 05:10
>>69さん
30番台ぐらいまでは「純文学」という言葉の定義の部分を話していたから、
多少言葉が難しくなったと思います。
>>32については、現代の思想的観点から見ると「純文学」というカテゴライズ自体が危ういので、
そういう流れは無視してないよ、という意味で、付け加えただけです。
けれども、文学を論じるときは、どれが正統でそれが正統じゃないかという基準は必要不可欠
というか、必然的にでてくるものだと考えています。
だから、現代において文学を語ることは、その行為自体にネジレを含んでいるのが、
たいへんなジレンマになっているように感じます。
・・・平たくなったかな??

個人的なことについては、文学板なのでテクストを読んでの解釈にお任せしますよ〜


88 :25:03/12/26 05:24
>>81さん
目的語は「物語」という限定ではなくてよいですか?
ある人は「未来に繋がる新たなテクストを産出するため」
また、別の人(←自称大先生)は
「好きだから」とおっしゃってたことを思い出しました。。
私はなんとなく納得しましたが、どうでしょうね・・
物語限定だったら、別のスレがあったような気が・・


89 :吾輩は名無しである:03/12/26 11:15
>>87
「純文学」というカテゴライズに、現在、どれほどの意味・意義があるのか、漏れには良く分からないのだけれど、
以下のように、漏れは「純文学」というのを整理してる。独断と偏見に満ち満ちているんだろうけれど、
まぁこんな意見もあるんだと思ってくらはい。

日本の「純文学」は、これまでも、これからも「私」が主要なテーマとしてあるのではないか。
そう考えてみると、次のように整理できるのではないか。

明治期〜大正期…「私」を「ありのまま」描くこと=「純文学」…@
大正期〜昭和(戦前)…掴み取れない、じりじりするような自意識のみの「私」の狼狽を描くこと=「純文学」…A
昭和(戦後)〜昭和40年代前半…仮構された「私」を描くことで、世界と「私」とを通路づけること=「純文学」…B
昭和40年代後半〜現在…空洞化した「私」を描くこと=「純文学」…C

@では花袋、藤村、秋声、志賀などが代表
Aでは芥川、太宰、梶井、中島敦などが代表
Bでは戦後派の諸作家、三島や伊藤整、大江などが代表
Cでは春樹や保坂などが代表

こういうふうに、とりあえず定義できるのではないか?
無論、この定義だと、色々問題はある(例えば漱石鴎外はどうするか、内向の世代はどうするか、中上は
どうするか…)。けれど…。



90 :吾輩は名無しである:03/12/26 13:03
89の「日本の純文学」の定義分類を見て、おもしろいと思った。
月並みな感想だが、どう見ても、
最後の「色々問題はある」以下に出てくる人のほうが
世界文学全集的には文学っぽいから。
「純なわたし」の文学は文学としてはかたわっぽい
(おもしろくないと言ってるのではない)。

91 :吾輩は名無しである:03/12/27 17:10
>>90
89ですが、全くその通りです。
BやCは別に考える必要があるかと思いますが、
明らかに日本の「純文学」というのは、「世界文学全集」的なものとは異質だと思いまつ。

この異質さが、どうして日本ではそう疑われることなく受け入れられてきたのか、漏れとしては
気にかかることではあるのですが、当面、藤枝静男のような作家の作品に、その謎を解く手掛かり
のようなものがあるんじゃないかと思っているのです。
藤枝の作品は、いわゆる「私小説」とは異質なのに、藤枝自身は自己の作品を「私小説」だと言って
憚らない。こういうところに、「純文学」とは何かということを考える鍵もあるかなー、と。



92 :吾輩は名無しである:03/12/29 03:12
なんとなく、日本のいわゆる純文学って、出家の匂いがする。
格闘技とか、嗜好品の扱いが「道」になるのと同じ感じで。
私的な絶対を追求する個人宗教みたいな匂い。少なくとも、二十世紀始めまでの
ヨーロッパとかの文学では、普通は絶対と本人の位置関係が問題なわけで
個人は絶対ではあり得ないし、むしろ絶対から逃げることが文学の中心。
つまり、書くという行為の持つベクトルが逆なんだと思う。

93 :25:03/12/29 23:06
>>89さん、以下
日本文学は確かに、外国文学に比べてずっと、自意識過剰な感じがすると思います。

けれど、『小説神髄』や『浮雲』の写実主義は、意味としては今の写実主義と違ってかなり審美的ですよね・・
小説の言葉を政治や道徳から切り離し、小説のためだけに書くとする点で、、
「私小説」の源流としては自然主義か・・
自然主義は『種の起源』以降の「環境」対「個人」の対立が根底にあるので、個人が肥大化しちゃうのかな?

小説の技法自体は降ってわいたものではなく、西洋から輸入したものだから、影響がないわけではないと思います。
ただ、西洋を日本人がいかに受け入れるかという部分での内面的葛藤がかなりあるのでは?
漱石とかはそのへんの影響が悲観的にも楽観的にも現れるので、奥深いのでは・・

94 :25:03/12/29 23:08
>>93第二段落目冒頭の「けれど」は消し忘れです;

95 :吾輩は名無しである:04/01/03 17:28
感覚的なことなんだけど、日本の文学作品は一つ一つの文章
それぞれから意味というか文学性(今までの傾向的に、第三
の新人の後期か内向の世代初期あたりまで)を表しているの
に対して、アメリカなどの作品はある文章ととある文章との
落差というか幅から文学性を掲示しているような気がする。
これをうまく理論的に説明できないのは本当に申し訳ないけれど。

96 :吾輩は名無しである:04/01/03 20:53
純文学=大衆文学ではないもの

江國や宮部、村山や辻とかだと卒論書く気にならないよね。
これは偏見?



97 :吾輩は名無しである:04/01/08 15:36
>>96
偏見じゃないと思うよ・・
第一先生許してくれんし、卒業できん。

98 :吾輩は名無しである:04/01/13 09:32
でもここまで、優れたあるいはせんれんされた作家が出てこない時代も珍しいよね。もちろん日本において。


99 :25:04/01/14 02:31
>>33さん
『河馬に噛まれる』読みました。
読んだだけで、理解できた自信はないけれど・・
英語にしたほうが理解しやすい日本語ではないかと思いました。
形式としては意図はなんとなく分かるように思います。
フランス文学っぽいなと思います。

今の作家で形式まで気にして書かれている人はいますか?
形式に工夫をしなければ、閉じた物語になってしまうと思うのですが・・・

100 :吾輩は名無しである:04/01/14 04:19
>95
仮に一つの命題があったとして
日本の場合個々が自己の1作品の中だけにおいて至高の表現なり主張を追求した独立的な展開をみせるのに対して
アメリカは他の作品の存在を前提とした相対的な位置づけで内容が展開されるということ?


違ったらスマソ

101 :吾輩は名無しである:04/01/14 04:42
>>100
>>95について
日本の文学作品の場合はテクストそのものが、表現の段階から審美的なのに対し
アメリカなどの文学作品は、物語のプロット展開の中で、作者の意図する文学性
を表す文章が存在しているという意味にとったのだけれど、違うかな?

要は、日本文学のほうがプロット展開が有効に使われていないイメージ?

102 :吾輩は名無しである:04/01/14 10:01
>>25
頭の固い人だな。固定観念が強すぎる。

103 :吾輩は名無しである:04/01/14 10:42
今の日本社会メチャメチャなんだから、
批判的に捉えようと思えばできるのに、
わりとエンタメがそれやってるよね。桐野や宮部とか。
純文学でもできるだろうと思うのだが。
中上の被差別部落とか、大江みたいに政治的なものとか。
星野智幸とかがんばってるのかな? そういう部分は。
近作読んでないのでよくわかんないんですが


104 :吾輩は名無しである:04/01/14 11:38
自分はむしろ、安易に「批判」と分かりやすすぎるものが多すぎる気がする。
その手のエンタテイメントは読んでて面白いが読後感が説教臭い。




105 :吾輩は名無しである:04/01/14 11:38
乙一はどうですか?

106 :吾輩は名無しである:04/01/14 11:44
ジャンプはマンガだけで手いっぱいです。


107 :吾輩は名無しである:04/01/14 12:17
形だけ批判しててもね。


108 :吾輩は名無しである:04/01/20 06:02
上小阪


109 :吾輩は名無しである:04/01/20 12:29
現代作家で形式性や自己言及性に自覚的な作家といえば、
大江の他には

後藤明生(「壁の中」、「首塚の上のアドバルーン」)
小島信夫(「別れる理由」、「寓話」)、
阿部和重(「アメリカの夜」
     「インディビジュアル・プロジェクション」)

等があると思います。
中上はちょっと違う。
あれは神話の生成と破壊による
文それ自体が主題だから。

110 :吾輩は名無しである:04/01/21 01:09
純文学に必要なのは二項対立的な「批判」ではなく、自分的には二項対立の統合だと思うのですよ。
批判というのは、一本の線のようなものを書けばいいのだから論文でもできるのだけれど、差異を生成する
二項対立の破壊は、想像力によって書かれた物語にしかできないものだと思うので。
概ね、これまで残ってきた名作といわれるものは、どこかに視点を置いて論じようと思っても、
必ずどこかからすり抜けてしまって、線状にまとめられないものになると感じます。

手法的なことを挙げると、メタフィクションなんかだと、ひとつの層であるひとつの
線状の話を書いて、もうひとつの層で、その線を分断する試みをするとか、、

111 :吾輩は名無しである:04/01/21 01:18
結論

りさタンは抜ける。

以上

112 :吾輩は名無しである:04/01/22 01:14
>>110
>純文学に必要なのは二項対立的な「批判」ではなく、
>自分的には二項対立の統合だと思うのですよ。

言ってる事がよく分からない。
「二項対立の統合」というのは
例えばゲーテの「親和力」に代表される教養小説のことであり、
「世界」という理念の達成が前提だった筈だ。
具体的に言うと、小説という舞台で
登場人物が人格を陶冶していく過程を
「物語」として捉えていた。
ただ、その大前提である統一的で普遍的な世界観や
認識主体としての人間性への信頼が揺らいで来たことが
現在のポストモダン的文学論に繋がっているのでは?

文学史的にいうとマルクス主義(ここでは共産主義の意)や
その伴走者たるプロレタリア文学の破綻による
「世界」という理念の失墜や
最後のヒューマニズムである実存主義の失墜が該当すると思います。

批判の対象が「世界」に向けられるのなら物語批判に繋がるのでしょうし、
「自意識」に向けられるのなら言語分裂に逢着せざるを得ない。
初期の頃の高橋源一郎は両方やったのかな?

113 :吾輩は名無しである:04/01/22 10:50
112みたいな言い方は教養主義者の典型だと思う。
「二項対立の統合とは」が「ゲーテ〜だったはずだ」みたいなとこが。
110が言いたい「統合」は彼の言葉において出てきた「統合」であって、
学問的に(?)それがどういうことを指すかは別にここでは関係ない。
110がすばらしいわけではないけど、言いたいことはまあ分かる
(それは112が言ってることとあまり関係ないことが分かる)。
相手の言っていることを読まないで、単語の定義から批判するのは
不毛。その意味ではこれも不毛なわけだが、
何故わざわざ書くかというと、そういう批判ができる人が
分かってる、みたいな感じが、どの分野においても常々嫌でたまらないから。


114 :吾輩は名無しである:04/01/22 13:36
>>110
>>103の「批判」を前提に書いたことです。
ゲーテとかの文学的な上下関係のない二項対立というよりは、
もっと権力論を意識した二項対立の統合を意図していました。
権力関係を含む差異をなくすことは、社会においてはたいへん難しいものだと思いますが、
人間の思考の中で、そういった差異を払拭していく過程において、非常に多くの矛盾を孕む
文学作品ができるのでは、と期待するのです。

115 :吾輩は名無しである:04/02/07 14:32
>>109
>現代作家で形式性や自己言及性に自覚的な作家といえば、大江の他には
>後藤明生「壁の中」、「首塚の上のアドバルーン」
>小島信夫「別れる理由」「寓話」
>阿部和重「アメリカの夜」「インディビジュアル・プロジェクション」
>等があると思います。中上はちょっと違う。
>あれは神話の生成と破壊による、文それ自体が主題だから。

確かに。中上のポジションは異質だね。
世界文学でいえばガルシア=マルケスのような…
古井由吉と高橋源一郎はどう位置付けられるだろうか。

116 :吾輩は名無しである:04/02/07 15:54
>>115
ここに出てきた作家達(阿部はちょっと分からないけど)が、
形式や自己言及に自覚的な作家だということは確かだと思う
一方、彼らがまた、そういった形式や自己言及といった、いわば
方法的な側面にのみ縛られていないことが、彼らの作品を読むに
値するものにしてる。方法的な側面に縛られないある何かは、
では何かというと、説明できないのが残念だが。

また、これらの作家以外にも、方法的な事に自覚的な作家は、
若手作家にも多くいるわけだが、そういった若手作家の大部分
が、果たして読むに値するかどうかといえば、首を傾げざるを得ない
のは、方法的な事に捕らわれすぎだという事があるんではないか、
或いは方法的な事以外に、文学に対する見方がないのではないか、
そういった印象もある。



117 :吾輩は名無しである:04/02/07 20:57
>>116
いいたいことはわかるよ。作家の自己言及性や自覚的な方法が
どういうモチベーションで、どういう意識・文学観の地平で
出てきたのか、という点が問われるんだと思うし、
そこでの差異が作品の強度にもつながると思う。

118 : :04/02/07 21:39
作品に絶対的な価値の評価基準が無い事と同じように
作品批判にも価値の評価基準は無い
もし何かしらの評価基準があり、それが絶対だと言うのであれば
文学も文学批判も定式化されるべきだと思う

批判家の提示する問題をパスした作家がここに居たとして
その人物の作品が多くの読者に読まれているのであれば
文学も文学批判も双方、健全な発展をしていると言える
何も問題など発生しないはずだ

だが、最近の文学を取り巻く状況を見れば、文学もそしてその批判も
形式主義に陥っている様に見えてならない

読者不在の文学ならば、哲学をやったほうがよほどマシなのではないか
と考えるのは私だけでしょうか?
それに、テキスト解析をするのであれば、わざわざ文学作品を選ぶ必要性が
あるのかどうか、という点についても私は疑問ですね
それと、自己言及うんぬんの話は近代日本文学の作家に、余りにも自意識過剰
な作家が多かったゆえに、流行ってしまった批判なのではないですか?
自己言及に自覚的な作家なんて、19世紀以前からいくらでもいたと思いますよ
あまり論理哲学的な要素にばかりこだわっても、いまさら意味はないと思う訳です

119 :吾輩はピョートル大帝である:04/02/07 21:49
文学とは固体というよりは液体に近い。

120 :吾輩は名無しである:04/02/07 21:49
まず、小説と哲学は全然違う。
しかし、哲学的に小説を読んでもぜんぜんオッケー
そうじゃなくても全然オッケー
読者不在も何も、文学が戦後からバブルまでが異常に売れてただけ。
バブル当時でも、活字離れ文学離れなんて言われてたけど、
今から見ればぜんぜん売れてる。その頃が異常だっただけ。
文学の読まれなさなんて本来こんなもんだ。
ただし大手文芸誌に依存した形以外の道が必要だけどね。


121 :吾輩は名無しである:04/02/07 22:43
@戦後には太宰や坂口ら無頼派がいるところに
A大岡、武田、埴谷らが50年代に出てきた。
B60年代からは大江が加わり
C70年代に内向の世代の古井&後藤が頑張り、
D80年代に龍、春樹、高橋源、中上の活躍があった。
E90年代って多和田、水村がやはり頑張ったのでは?

122 :吾輩は名無しである:04/02/07 23:25
批評というのは必ずしも哲学の領分とはならないね。
「批評」と言ってしまうと堅いイメージがあるけれど
結局は「読み方」として捉えておけばいいわけで
その「読み方」が個々の文学作品にフォーカスされる場合と
時代性や文学史といった歴史的座標軸でなされる場合があるってことで。

123 :吾輩は名無しである:04/02/08 00:13
>>121
九十年代の多和田、水村は確かに良いが、知名度が低いと思う。
奥泉、保坂辺りの方が無難な所。

124 :吾輩は名無しである:04/02/08 00:16
>>121
第三の新人が抜けてるのは意図的なのか。
小島と、吉行と庄野は足してひとりぶんで、入れてくれ。

125 :吾輩は名無しである:04/02/08 10:04
>>124
吉行は方法に自覚的な作家だった人だと思うけれど、
庄野はどうなんだろうね。
庄野って、あまり方法的なことに拘りのある作家のようには
思えないけれど、でも、何だろう、あの人が若い頃に書いた
作品って、何という事もないものなのに、不思議と
感動できるというか、身に迫るようなものがあるんだよね。

126 :名無しさん:04/02/08 17:42
植木賞作家
「宮尾登美子文学記念館(仮称)」
ソース
ttp://mytown.asahi.com/hokkaido/news01.asp?kiji=6314

激論区
ttp://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/travel/61/1018176632/

・・・完全な自己満らしい



127 :吾輩は名無しである:04/02/08 21:49
>>123
なるほど。
>>124
あっそうだ。意図的でなく書き忘れ。
でも第三の新人は影が薄い感じはある。
>>125
『プールサイド小景』あたりは印象には残ってるけれど
やはり長く読まれる作家ではないような気が。

128 :吾輩は名無しである:04/02/09 01:59
このスレは純文学を定義するスレですか?
もしくは作家を分類するスレですか?

129 :一応こっちに貼っておこう:04/02/09 15:35
1990『続・明暗』水村、『ストリートチルドレン』盛田、『讃歌』中上、『みいら採り』河野、『泥汽車』日影
1991『シャンハイムーン』井上、『なにもしてない』笙野
1992『楽天記』古井、『軽蔑』中上、『彼岸先生』島田、『断崖の年』日野、『三位一体の神話』大西、『カンガルーノート』安部
1993『異族』中上、『マシアスギリの失脚』池澤、『台風の眼』日野、『ノヴァーリスの引用』奥泉、『犬婿入り』多和田
1994『親指Pの修行時代』松浦、『タイムスリップ・コンビナート』笙野、『オペラ・オペラシオネル』蓮實
   『石の来歴』、『バナールな現象』奥泉、『五里夢』大西、『五分後の世界』龍
1995『死霊第九章』埴谷、『忘れられた帝国』島田、『西行花伝』辻、
  『しんとく問答』後藤、『ねじまき鳥クロニクル』春樹、『恋愛太平記』金井
  『この人の閾』保坂、『迷宮』『深遠』大西、『天皇ごっこ』見沢
1996『白髪の唄』古井、『争いの樹の下で』丸山、『蛇を踏む』川上、 『暗殺百美人』飯島、『夢幻の宴』倉橋、
1997『ゴーストバスターズ』高橋、『柔らかい土を踏んで、』金井、『季節の記憶』保坂
  『インディヴィジュアル・プロジェクション』阿部、『インザ・ミソスープ』龍、
  『うるわしき日々』小島、『くっすん大黒』町田、『水滴』目取
1998『火の山-山猿記』津島、(『日蝕』平野)、
1999『宙返り』大江、『溺レる』川上、『無情の世界』阿部、『最後の息子』吉田 、
  『魂込め』目取、『BARABARA』向井豊昭、『最後の吐息』星野
2000『取り替え子』大江、『共生虫』龍、『ヒナギクのお茶の場合』多和田、
   『うわさのベーコン』猫田、『不倫と南米』ばなな、『彗星の住人』島田
2001『日本文学盛衰史』高橋、『センセイの鞄』川上、『聖水』青来有一
   『ジャムの空壜』佐川、『蕭々館日録』久世、『あらゆる場所に花束が・・・・・・』中原
2002『本格小説』水村、『海辺のカフカ』春樹、『パーク・ライフ』吉田、
   『容疑者の夜行列車』『球形時間』多和田、『月夜見の島』青来、『縮んだ愛』佐川
2003『眼球の毛』青来、 『シンセミア』阿部、『極東アングラ正伝』佐川、
   『輝く日の宮』丸谷、『美しい魂』、『エトロフの恋』島田、『阿修羅ガール』舞城
2004『深淵』大西

130 :吾輩は名無しである:04/02/11 20:11




衰退論者の隠れ家発見!!取り潰せ!!










131 :吾輩は名無しである:04/02/18 19:34
http://www.osaka-u.ac.jp/annai/cgi-bin/syousai.cgi?S=15001&K=2468

132 :吾輩は名無しである:04/02/29 01:25
>>129の中で古めの作家を省いてみた。
1990『続・明暗』水村、『ストリートチルドレン』盛田
1992『彼岸先生』島田
1993『ノヴァーリスの引用』奥泉、『犬婿入り』多和田、『草の上の朝食』保坂
1994『石の来歴』、『バナールな現象』奥泉
1995『忘れられた帝国』島田、『この人の閾』保坂、『天皇ごっこ』見沢
1996『季節の記憶』保坂、『蛇を踏む』『物語が、始まる』川上
1997『インディヴィ・プロジェク』阿部、『くっすん大黒』町田、『水滴』目取真
1998『マリ&フフィの虐殺SG』中原、『神様』川上
1999『溺レる』川上、『無情の世界』阿部、『最後の息子』吉田 、
   『魂込め』目取真、『BARABARA』向井豊昭、『最後の吐息』星野
2000『ヒナギクのお茶の場合』多和田、『うわさのベーコン』猫田、『彗星の住人』島田
2001『センセイの鞄』川上、『聖水』青来、『あらゆる場所に花束が・・・・・・』中原
   『ジャムの空壜』佐川、『蕭々館日録』久世
2002『本格小説』水村、『パーク・ライフ』吉田、『月夜見の島』青来、『縮んだ愛』佐川
   『容疑者の夜行列車』『球形時間』多和田
2003『眼球の毛』青来、 『シンセミア』阿部、『極東アングラ正伝』佐川、
   『美しい魂』、『エトロフの恋』島田、『阿修羅ガール』舞城

133 :吾輩は名無しである:04/02/29 01:33
『ストリートチルドレン』を読んだが
最初の数十頁かを読みすすめるとグングンいく。
中上とガルシア=マルケスを彷彿。
新宿を舞台に時間軸が錯綜していく。
吉本と柄谷がコメントを寄せていたが、
熱を感じる作品ではあった。


134 :吾輩は名無しである:04/02/29 01:40
>>132の中でこれからの可能性を感じる作家は誰だろう・・・

135 :吾輩は名無しである:04/02/29 01:45
ネットやり始めて以来、まったく小説は読んでないわけだが

136 :吾輩は名無しである:04/02/29 01:50
>>134
俺が知りうる限りで。
これからの可能性で計るなら、阿部、保坂、吉田あたりじゃない?
次の作品も買いたいなと思わせる。
ただ>>132のなかで一番すきなのは久世光彦だけど・・・・

137 :吾輩は名無しである:04/02/29 04:26
現役の作家ですごいのっていない気がする。
誰かお奨めの作家いますか?

138 :吾輩は名無しである:04/02/29 04:29
自分のレスに嫌な書き込みされたら。。。 ↓ このスレ参考にすると最強!!
  
       ・・・・・「嫌な一言」に賢い切り返し・・・・・
     http://life3.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1077966891/l50

139 :吾輩は名無しである:04/02/29 11:31
>>136
参考になる。
久世はつい昨日『蝶とヒットラー』を買ったよ。

140 :吾輩は名無しである:04/03/01 09:04
>>132
鋭すぎるリスト、ありがとさんです。
ところで
あなたはんは悪漢と探偵さんでつか? 

141 :吾輩は名無しである:04/03/01 23:23
阿部は今年絶対くるよ。

純文学にちょっとでも興味のある奴なら、
なんでメディアを問わずこんなに騒がれるのか
一度調べてみればいいと思う。

ミステリー、SF、ライト・ノベル、漫画、アニメから
大量の読者が流れてくるのは 間違いない。
おそらく『シンセミア』読了後は、読者自身の純文学に
対する基本的な考え方さえも変わると思う。
とにかくいままでのものとは格が違いすぎる。

阿部=新たな純文学の夜明け
って感じかな。

142 :吾輩は名無しである:04/03/01 23:35
宣伝うざいよ。タイトルがまずダサいんだよW

143 :吾輩は名無しである:04/03/01 23:35
>>141
ふう、コピペごくろうさま。

144 :吾輩は名無しである:04/03/01 23:56
久世、、
あざとすぎ。テレビだけにしてくれ。

145 :吾輩は名無しである:04/03/02 00:25
>>134
これから期待できるっていうとき、みんなきまって若い人たちの名前を挙げるけど
(一部を除いて)、これからも一番期待できるのは大江だと思う。

146 :吾輩は名無しである:04/03/02 13:34
上のリストって純文学畑ばっかりじゃん


147 :吾輩は名無しである:04/03/02 13:57
今の日本は純文学を必要としてないかもね。

「今日はしみじみとその美しさが身にしみた。
しなやかに光沢のある髪の毛につつまれた耳たぼ
豊かな頬の白く鮮やかな顎のくくしめの愛らしさ。」

別に古典マンセーじゃないけど、今はこんな純で奇麗な女の子は
少なくなってるし、街全体日本全体が汚らしくなってる。
他の国みたいに政治問題、移民問題、などなど抱えてるわけじゃないから
日本の私小説は世界観が狭くて当然だし、作家は技巧を凝らすだけになって
普通の読者はついていけない。
最近の色んな作家読んでみるんだけど、どれも「ふうん、うまく書けてるなぁ」
と思うだけで心を打たれるって事は無いんだよね。
純粋な感動を与えてくれる文学は日本では生まれないのかな。




148 :吾輩は名無しである:04/03/02 14:53
いいたいことは分かるが、なんだそりゃ、勝手だな、と思わざるを得ない。
そういう「純さ」を守るためになにかしてる?
まわりはどうでも自分はそういう純粋で美しい存在でいようと努力してる?


149 :147:04/03/02 15:07
>>148
うーん、つまり日本文学がこのまま衰退してもおかしくない、って
事ですよ。純文学が次第に無くなってもそれは日本の環境の問題もあり
作家個人の資質だけではない、自分を取り巻く世界が美しくなければ
語る言葉が無く滅びても当たり前ですからね。批判はしてません。
ただの愚見です。

>>努力してる?
そう言えるかどうかは分かりませんが昔の日本文学を出来るだけ読んでます。
今日は長塚節の「土」を読みました。





150 :吾輩は名無しである:04/03/02 15:13
綿矢ヲタの金原叩きを見ていると、

純粋=美しい・善
っていう君の意識が既に化石な気がするよ。


151 :吾輩は名無しである:04/03/02 21:50
自分を取り巻く世界が美しくなければって、
いつの世もそれほど美しくもないだろう。

152 :吾輩は名無しである:04/03/02 21:58
2000年に出た『うわさのベーコン』はどう?
ゲンイチロウが評価してたけど。

153 :吾輩は名無しである:04/03/02 23:39
ああいうファンレター時々くるけどマジ恐い、って感じしかしなかったが。
書く人間には素材としての魅力があるのかもしれないので、なんとも。

154 :吾輩は名無しである:04/03/03 15:33
age

155 :吾輩は名無しである:04/03/10 00:35
『ストリートチルドレン』を読んだが
最初の数十頁かを読みすすめるとグングンいく。
中上とガルシア=マルケスを彷彿。
新宿を舞台に時間軸が錯綜していく。
吉本と柄谷がコメントを寄せていたが、
熱を感じる作品ではあった。

156 :吾輩は名無しである:04/03/10 17:46
おれもこのスレ見てストリートチルドレン読んだ。
おもろかった。

157 :淳一  ◆8kTRz46uUU :04/03/10 18:22
『ストリートチルドレン』は未読。良作なら今度よんでみようかとおもいました。
舞城はおもしろいことしてるのに、意外と一般の知名度は低いんだね。
将来は高橋源一郎みたいになる気がする。佐伯とか。

158 :吾輩は名無しである:04/03/10 18:30
高橋みたいなのが日本文学を腐ったものにしたんだよ。
糸井や村上春樹、龍、筒井、エンタメのくせに文学ぶるな!
丸谷が今の文学を支えている。

159 :吾輩は名無しである:04/03/11 11:56
丸谷はどの作品がいい?>158

160 :第七舞台:04/03/11 19:35
『ストリート・チルドレン』は買って損はない。
文庫で読めるし。中上ファンなら特に勧めとく。
あと『オペラ・オペラシオネル』も素晴らしい。
こんな作家が2作しかまだ書いてないとは!

161 :吾輩は名無しである:04/03/11 19:56
>160
『オペラ』はダメダメだよ。
『陥没地帯』ではあれほど丁寧に作りこんでいたのに
なんで『オペラ』ではあんなにつめが甘い作品を書いちゃったのか。
というわけで向井豊昭も読んでね!
すごい作家なのに誰も知らんよー

162 :吾輩は名無しである:04/03/13 01:04
『ストリート・チルドレン』の盛田隆二も、『BARABARA』の向井豊昭も、早稲田文学新人賞出身。
そこらのチンピラ作家など問題にならんほどぶっちゃけすごいが、いかにも寡作。もっと書けよ、と言いたい。

163 :吾輩は名無しである:04/03/13 09:18
向井豊昭読んでみるか。
目取真は結構骨太で読ませる作家だな。

164 :吾輩は名無しである:04/03/13 09:37
これらの作家の中で佐川光晴の特徴/特異性を教えて欲しい、
と、矢部氏に誘いをかけてみる。

165 :吾輩は名無しである:04/03/14 09:27
矢部氏?

166 :吾輩は名無しである:04/03/14 15:04
早稲田文学の作品なんて、、、、ありきたりな内容と構成。。。。読むかよ

167 ::04/03/14 15:15
おこちゃま

168 :吾輩は名無しである:04/03/14 18:36
>161
『バラバラ』手に入れたんで今から読む。
『陥没』より『オペラ』はツメが甘いのはそうかもしれん。
しかし『オペラ』は何よりエロティックでいいじゃん。
『陥没』では「批評家が書いた小説」臭があったが。

169 :吾輩は名無しである:04/03/15 01:06
盛田隆二ってまだ2作なの?
「夜の果て」(?)って最近文庫でてない?
あれは違う人ですか?


170 :吾輩は名無しである:04/03/15 05:39
角川文庫「夜の果てまで」はかなり売れてるみたいだね、盛田隆二。
まだ2作ってなんで? 10冊ぐらい出てるでしょ。


171 :161:04/03/15 08:39
>>168
エロティック…『オペラ』はなんつーかその手の映画意識してますよーてのが出すぎで
あとなんでもかんでも反復すりゃいいってもんでもないでしょ?
と思ったのだが。

172 :吾輩は名無しである:04/03/15 16:00
>>170
勘違いしてた。ごめん。

173 :吾輩は名無しである:04/03/15 21:42
BARABARAってどこかで手に入らないですかね。

174 :吾輩は名無しである:04/03/15 21:46
「世界の〜」みたいな
読みやすく、わかりやすい純愛小説、他にありませんか。
 ※できれば時代考証が近年の舞台(『世界の〜』ぐらい)で

最近の恋愛小説はいかにも「フィクションだろ」っていう展開が多いので...


96 名前:無名草子さん :04/03/15 20:33
これだっていかにも「フィクションだろ」って作品じゃん。
「つまんねー」=「リアル」
だというんなら話しは別だけど


97 名前:95 :04/03/15 20:47
>>96 
95でつ。
「フィクションだろ」って書き方は間違いでしたね。すいません
訂正したいのでつが言葉が見つかりません...
・・・う〜ん、なんていうかな?複雑かな。わからん・・

とりあえづ、展開がシンプルな小説を探しているということでおねがいしまつ。


98 名前:無名草子さん :04/03/15 21:45
これに似てる小説はないかも。小説の雰囲気としては、エヴァよりも岩井俊二の撮る
青春系映画みたいな。
もしくは野島信司のドラマのような。どっちにしろビシビシ伝わってきますよ。作者の心情が。
私小説かな、半自伝的な。


175 :吾輩は名無しである:04/03/15 22:25
『陥没』も『オペラ』も反復の手法を駆使したヌーヴォーロマンじゃない?
『陥没』は「物語」に自覚的なメタフィクションでもあったんだろうけど
『オペラ』は「反復」よりも「横揺れ」と「徒労」に身をまかせてるか。。。
あ、三枝『思いがけず風の蝶』を思い出してしまった。

176 :吾輩は名無しである:04/03/16 22:04
向井『バラバラ』読んでみた。読書の途中で
ゴキッ! と音がした。
わたしから外れた二人目の自分がこう言うのが聞こえた。
「これ面白いっていえんのか? 向井を推してたのは誰だい?」
わたしはそいつを脇に寄せて最後まで読んだ。
ゴキッ! 
三人目の自分がこう言う。「やっぱこれって面白いのかなあ?」
ところで、この向井ってもうおじいちゃんだね。

177 :吾輩は名無しである:04/03/16 22:23
向井『バラバラ』の次に川上『蛇を踏む』を読んだんだけど
この川上弘美って人面白い感性もってるねえ。
今ごろ読んでるのろまでなんだが、いやぁ読ませるねぇ。

178 :吾輩は名無しである:04/03/16 22:28
>>175
オペラに徒労はない
サラーっと流れてっちゃうよ。
これ退屈じゃないからダメなんだよ。

179 :吾輩は名無しである:04/03/16 22:32
川上?ただの民話からのパクリじゃんか。

180 :吾輩は名無しである:04/03/16 22:37
>>179
で、きみは誰がいいと思うのかな?

181 :吾輩は名無しである:04/03/16 22:43
>>180
サローヤンにドナルドバーセルミに木山捷平にマラルメに銀色夏生ですよ。

182 :吾輩は名無しである:04/03/16 22:45
>>181
木山捷平はどの作品がいいと思うのかな?

183 :吾輩は名無しである:04/03/16 22:50
>>182

大陸の細道、
詩集「メクラとチンバ」

184 :吾輩は名無しである:04/03/16 22:52
『大陸の細道』と『BARABARA』は共通点があるかな?

185 :吾輩は名無しである:04/03/16 23:01
>>184
アナーキズムと方言

186 :吾輩は名無しである:04/03/16 23:04
>>185
「普通の人のアナーキズム」だな

187 :吾輩は名無しである:04/03/16 23:05
向井の二作目『DOVADOVA』はウンコの話です。ひたすらウンコ。
渡部の『不敬文学論序説』をからかってます。
ウンコが貯まった肛門に指突っ込んでグルグルまわすのが不敬にあたるって。

188 :吾輩は名無しである:04/03/16 23:07
>>186
普通の人のアナーキズムだからおもしろいんでしょ。
インテリのアナーキズムなんてただの理想論ばかり。
もうひとつの共通点は、「開き直りの美学」

189 :185:04/03/16 23:13
>>188
「普通の人のアナーキズム」が面白くないとは言っていない。
正統でも異端でもない庶民のアナーキーだからこそ面白いとは思う。
で、「開き直り」がそこにあるわけだが「美学」というよりいい言葉はないかい?
>>187
それは興味深い。

190 :187:04/03/16 23:18
>>189
あと『DOVDOVA』のカバーには著者近影も載ってるんだけど
ヘンなジジイが顔を真っ黒に塗って思いっきりヘンな顔してんのw
向井ジイサン(・∀・)イイ!!

191 :185:04/03/16 23:19
つまりさぁ、木山も向井も非常に人間臭い作家だと思うんだよね。
ある意味で「美学」とか「思想」なんかとは無縁のさぁ。

192 :吾輩は名無しである:04/03/16 23:21
>>189
ならば「開き直りのウンコ垂れ流し」

193 :185:04/03/16 23:24
>>190
ううっ、わが華麗なる書架に『DOVDOVA』を並べるかどうしようか。。。

194 :185:04/03/16 23:26
>>192
うん、それでいいじゃん。
今日はレス交換できて楽しかったよ。
おやすみ。

195 :吾輩は名無しである:04/03/16 23:26
向かいの本は手に入るの?四谷サンマークだっけ?注文すればオッケーかしら?

196 :187:04/03/16 23:29
>>193
ごめんごめんカバーつーかなんていうの?折り込んだ内側になってる方ですよ。
表紙はもちろん、またまた蛭子大先生です。
俺正直、バラは蓮實と小森とスガの帯の推薦文で買ってしまったのだが
ドヴァは中原昌也と池田雄一って…向井スレでもないしよくないかな…? まあそんな感じです。
マイナーなのでつい紹介したくなっちゃって。そんな感じです。
>>195
四谷ラウンドとっくの昔に倒産しました。

197 :吾輩は名無しである:04/03/16 23:53
どうしても読みたいんですが、ドバドバ。
誰カーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

198 :吾輩は名無しである:04/03/17 00:23
>>196
ヘェー、バラは蓮實が推薦してたのか。
>>197
図書館か古本屋だな。

199 :吾輩は名無しである:04/03/17 10:40
四谷ラウンド

200 :吾輩は名無しである:04/03/17 10:59
実学書が売れる時代に小説を読んで、どのような知識を得ようとしているのだろう。
漢字のお勉強のために読んでるのかい?
おまえらは一体、小説を読むことで何を学んでいるのか?
それを答えてくれ。


201 :吾輩は名無しである:04/03/17 12:01
あげ

202 :吾輩は名無しである:04/03/17 13:06
200の質問はむずい べリィむずい

203 :吾輩は名無しである:04/03/17 15:54
文学って、学問より娯楽に近いものだから、別に学ぶものが無くたっていいよ。

204 :吾輩は名無しである:04/03/17 22:52
目取真イイと思うんだけど、どうでつか?

205 :吾輩は名無しである:04/03/17 23:13
イイよ。
でもなんか玄人受けな感じだね。
一郎芥川賞作家なのだが。

206 :吾輩は名無しである:04/03/19 15:19
福永信なんてどうでしょう。
おもしろくない?


207 :吾輩は名無しである:04/03/19 15:33
阿部以降で阿部っぽい批評的文脈を抑えてる作家
横田創、福永信、小野正嗣、仙田学、萩田洋文、
あたりか…

208 :吾輩は名無しである:04/03/19 20:01
>206
アクロバット前夜?

209 :吾輩は名無しである:04/03/19 23:37
そうそうアクロバット前夜。
この作家なかなか伸びないね。

210 :吾輩は名無しである:04/03/20 00:15
何かを学びとれる文。これ文学の神髄では。娯楽で終われば学はつかん。

211 : :04/03/20 10:19
185さんごめん。186だったのに番号間違えてた。
しかし木山と並べてみると向井の特徴が際立つなぁ。
もうひとつ『ドバドバ』も読んでみるか。

212 :吾輩は名無しである:04/03/22 21:52
中原昌也とか阿部和重とか町田康とか
映画や音楽に深い関係を持った作家が多いね。
ジャンルをクロスオーバーするところから
エネルギーを文学に注入してる感じがあるのかな?

213 :吾輩は名無しである:04/03/22 22:22
まったく感動できないよね。その3人。感情が麻痺してるんだろうね。

214 :ハル ◆8DJG7S.Zq. :04/03/22 23:44
>>212
現代作家の条件として(その「現代性」の定義はおいとくとして)
映画や音楽だけじゃなく芸術全般について知らないと
「現代」は書けないように思うけど、どう?
(しかしそれを言うなら「政治性」も然りかな。。。)

68 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.02.02 2014/06/23 Mango Mangüé ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)