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「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」

1 :無名草子さん:03/12/16 21:08
西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」(日新報道)に
ついて論じ合いましょう。
http://zenkoji.shinsh-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html
(この本に関する書評)

参考サイト
http://www.nsjap.com/marco/marco1.html
(西岡昌紀「ナチ『ガス室』はなかった」マルコポーロ
 1995年2月号より・全文)

http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus.html
(木村愛二「アウシュヴィッツの争点」全文)

2 :無名草子さん:03/12/16 21:14

         _,ィ'''ー-、,_ _,,,.-‐‐'''""`'''ー-、,,_        
      ,.-''"     ::.`'゙!;::. :: ..: :.     `""""`'''''ー--、,,__
      ,r',..    . :: ,   .::`'ヽ;:. ::. ..      ::. :..  ..:: ::.::...:`'''ー--、
    /- ..: .   :.. ;! :  . :. ゙i:.         .   .  :.::.  .:   `ヽ、
    ノ:"''..:-、  . .::/  . . :. :゙l: .:.      .: : :.  ..: ..:::.        ヽ
  /:..  ャ-ァ::.. :::/   ;  ':; . l...    ..     .  :  :.       :..:.  ゙i
  (,:     ´   :l:.  :   :' ノ::..        ..:: .. .:. ::.. .:     .. ::.  ..:!
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  ノ:.  .::ノ  ,r''"`'i:::: `ヾ;'.. :. .:::.:.. ..     .:. ..:::. .:: ::: :..::.    :.  .: ..   ::l
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3 :無名草子さん:03/12/16 21:23
>>2は共和党の手先。


4 :無名草子さん:03/12/16 22:05
これを読むと、連合軍が、ドイツ人にどういう拷問を加えて
「自白」を得たかが、詳細にわかります。
    ↓
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-13.html
(クリックして下さい)

5 :無名草子さん:03/12/17 15:57
>>3
説明をキボンヌ。

6 :無名草子さん:03/12/17 23:05
ひと〜りじょおおずとよばないいでっ♪あなたあがすきいなわけじゃないのよ♪

7 :無名草子さん:03/12/18 01:32
>>5
共和党のシンボルマークね。
単にそれだけ(W

8 :無名草子さん:03/12/24 00:48


9 :無名草子さん:03/12/25 04:16
サピオにクライン孝子さんが面白い記事を書いてる。
ドイツにおいて、例のホーマン議員の発言(「ユダヤ人は加害者だ」
とする発言)に対する共感が、思いの他広がっている記事がそれ。
一読を勧める。

10 :無名草子さん:03/12/25 10:36
サピオ・・・

11 :無名草子さん:03/12/29 00:51
>>10


12 :無名草子さん:03/12/30 11:44
====================================

  はじめに、自己紹介をさせて頂こうと思います。私は、内科の医者であり、
 政治的には、「右」でも「左」でもないあ無党派の人間です。生まれたのは
 1956年ですから、全共闘世代よりは下の世代です。その私がこの本を書
 く切っ掛けに成った或る事件の事から話を始めたいと思います。

(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」日新報道・1997年
 18ページより)

13 :無名草子さん:03/12/30 11:50

  その事件とは、1995年の1月から2月にかけて起きた「マルコ
 ポーロ」廃刊事件という事件です。この事件は、同誌二月号に掲載さ
 れた或る記事を切っ掛けにして、大きな騒ぎが起こり、同社が「マル
 コポーロ」誌を廃刊にしたという事件なのですが、皆さんは、この異
 常な事件を記憶しておられるでしょうか?その記事とは、私が執筆し
 た「戦後世界史最大のタブー・ナチ『ガス室』はなかった」という記
 事で、文芸春秋社の月刊誌「マルコポーロ」は、その95年2月号に
 私のこの記事を掲載しました。

(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」日新報道・1997年
 18ページより)

「ナチ『ガス室』はなかった」(マルコポーロ・1995年2月号)全文
        ↓
http://www.nsjap.com/marco/index.html
http://www.nsjap.com/marco/marco0.html
http://www.nsjap.com/marco/marco1.html

14 :無名草子さん:03/12/30 11:56

 ところが、私のこの記事に対して、或る団体(後述)が広告ボイコット
という手段を用いて文芸春秋社を攻撃し、同時に日本政府に直接抗議する
という行動を取りました。それが切っ掛けとなって、文芸春秋社は「マル
コポーロ」を突然、廃刊する事としたのですが、この事は、当時大きく
報道されたので、御記憶の方も少なくないと思います。
 即ち、私のこの記事が載った「マルコポーロ」が発売されたのは、阪神
大震災が起きたのと同じ95年1月17日の事でした。ところが、これが
発売されると、私のこの記事に反発したイスラエル大使館及びアメリカの
シオニスト団体サイモン・ウィーゼンソール・センターは、文芸春秋社に
対して強い抗議を展開し始めました。

(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」18〜19ページより)

http://www.nsjap.com/marco/marco1.html

15 :無名草子さん:03/12/30 12:04

 記事の大意は、「はじめに」でも少し述べたように、ドイツが第二次
大戦中ユダヤ人を迫害した事自体は明白だが、「ガス室」によって「ユ
ダヤ人絶滅」を行なったとする通説には全く根拠が無く、ユダヤ人たち
には、全く別の悲劇があったとする物でした。即ち、私は、ナチスドイ
ツがユダヤ人を差別した事も、収容所に収容した事も、ワルシャワ・ゲ
ットーでユダヤ人を弾圧した事も、ソ連戦線でユダヤ系の非戦闘員を多数
殺害した事も、全く事実だと考えています。これらの事柄は、それらの
細部については検証が必要だと思いますが、基本的には全く事実だと
認識していますし、収容所でユダヤ人等に対する虐待があった事自体も
否定する積もりなどはありません。しかし、「ガス室大量殺人」と「ユダ
ヤ人絶滅計画」と言う二つの話に限って言えば、意義を唱えない訳には
行かないのです。

(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」日新報道・1997年
 19ページより)

http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html
    ↑
(クリックして下さい)



16 :無名草子さん:03/12/30 12:06
よーわからんが、「ガス室」はすでに聖書上の出来事とかと同レベルの
伝説になってしまっているので、だれにも覆す事はできんでしょ。

17 :無名草子さん:03/12/30 12:09
 
 それは、ナチスを「弁護」すると言う様な事ではなく、ただ単純に
それが事実とは考えられないからです。理由は後で詳しくお話しすると
して、私は、戦後永い間信じられて来た「ガス室」の話は、連合軍が
戦争中行なっていた戦時宣伝が戦後、検証されないまま、「歴史」に
転化した物だったとしか思えないのです。真実は別に在った、と言う
のが、私の主張ですが、それは、ユダヤ人があの時代に苦しまなかった
と言う事ではなく、全く別の悲劇があったと言う事なのです。

(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」日新報道・1997年
 19〜20ページより)

http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

18 :無名草子さん:03/12/30 12:10
参考サイト

http://www.jca.apc.org/~altmedka/gas.html
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus.html
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise.html

19 :無名草子さん:03/12/30 12:14
要するに、ユダヤ人が収容所で大量死した本当の理由は、「ガス室」など
による殺害ではなく、発疹チフスなどによる病死だったと言う事。
ところが、連合軍は、そのユダヤ人の大量死を「ガス室による民族絶滅」
による物だと宣伝して、歴史を捏造したと言う事です。一体、死者を
冒涜しているのは、誰なのか。

http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

20 :無名草子さん:03/12/30 12:17
ドイツがユダヤ人を差別、迫害した事自体は明らかである。
しかし、ドイツは、ユダヤ人を「絶滅」しようとしたのではない。
そうではなくて、ソ連を打倒した暁に、ヨーロッパの全ユダヤ人を
ロシアに強制移住させる事を計画していた。その計画を彼らは
「ユダヤ人問題の最終的解決」と呼んでいたのであり、この様な
計画と両立しない「ユダヤ人絶滅」など、ドイツは計画した事が
無かった。

21 :無名草子さん:03/12/30 12:19
ところが、ソ連戦線でドイツが敗退した結果、この様な強制移住
計画は不可能となった。そして、戦争末期の混乱の中、収容上の
衛生状態が悪化した結果、収容所で発疹チフスの爆発的発生が
起こり、多くのユダヤ人が非業の死を遂げた。これが、歴史の
真実です。
http://www.nsjap.com/marco/marco0.html

22 :無名草子さん:03/12/30 12:24
歴史改変主義者にとって2ちゃんねるは絶好の穴場なんだろうな。
せいぜいがんばってね。

23 :無名草子さん:03/12/30 12:24
 
 「ガス室によるユダヤ人絶滅」に異論を唱えた事実上最初の歴史家は、
ポール・ラッシニエ(Paul Rassinier)というフランス
の歴史家です。ところが、このラッシニエがどういう人物だったかと言
うと、何と、戦争中、反ナチ・レジスタンスに加わり、ナチスの強制収
容所に入れられていた左翼の知識人なのです。つまり、ナチスの迫害を
受け、自身がドイツの収容所に入れられていた人物が、「ガス室による
ユダヤ人絶滅」に異論を唱えた事実上最初の歴史家だったと言う事です
が、今まで皆さんは、こういう事を御存知だったでしょうか?

(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」日新報道・1997年
 24ページ)

http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

24 :無名草子さん:03/12/30 20:24
ガス室はあったよ影の政府=ニャントロ星人のしわざで
ユダヤ人は目くらましだよ。

25 :無名草子さん:03/12/30 20:32
そういえばニャントロ星人とか小泉神父のエクソシストものとか
出していた第一企画出版は商売やめちゃったけど、あれも何か
圧力受けたのかな?

26 :無名草子さん:03/12/31 02:37
懐かしいねぇ〜。
マルコが廃刊になった時のこと思い出したよ。
西原理恵子、宮嶋茂樹、いしいひさいちが
定期的に読めなくなって花田編集長を恨んだっけ…。

27 :無名草子さん:03/12/31 02:48
その時の記事のコピーもっとるでよー。

28 :無名草子さん:04/01/02 12:04
キチガイ

29 :無名草子さん:04/01/02 12:17
「謀議」という映画がある。
日本でもレンタルビデオ屋においてある。「謀議」は日本語タイトル。

この映画は、ユダヤ人絶滅計画を決定したナチの会議の模様を、
ドキュメンタリー風に描いたものだ。
映画の中では、ナチの幹部たちが巧みに「虐殺」「殺人」という
言葉を避けながら、「退去」という表現を使ってユダヤ人を大量にこの世から
消滅させる計画を練る場面が、描かれていく。

俺は、ユダヤ人絶滅計画の存否を論ずることができるほどの知識を持っていない。
しかし、絶滅計画の存在を証明する証拠は、それを否定する証拠よりはるかに
多く存在しているのではないのか。
だからこそ定説とされている。そういうことじゃないのか。

30 :29:04/01/02 12:26
「謀議」の中では、ユダヤ人のロシア東部への移住計画が困難となり、
食料などのコストもかかることから、ユダヤ人を集団で「退去」させる計画に
ついてアイヒマンが説明すると、出席した他のナチ幹部から
「退去とは何を意味する言葉なのか。・・言葉の定義について合意が必要だ。」
と詰め寄られるが、アイヒマンは最後まで言を左右にして、
質問に答えようとしない。

絶命計画が存在しないとは、「絶滅」という表現を巧みに避けながら
計画が立案されていった。・・・そういうことだ。
この映画の描き方は、こうなっているが。

31 :無名草子さん:04/01/02 12:48
で、結局ユダヤ人絶滅政策の本当の理由ってなんなの?
ドイツ民族意識の高揚だとか、ましてや画家時代の恨みなんて理由はまったくぴんときません。
仮にその後ドイツが勝利していたとしてもデメリットばかりが多く、メリットが感じられないし。
あれだけ、緻密な集団が、暴走してしまったってのも説得力に欠ける。
何か、もっと、合理的な理由があったような気がする。
今現在の世界世論をユダヤ系が牛耳ってるとするなら、何か本質的なことを隠されてるような気もするんですが。
そもそも、歴史的にみて、それほどの常軌を逸した暴挙なんだろうか。

32 :無名草子さん:04/01/02 13:02
人種学を学問の中心に据えたり、
ソ連に攻め込んで二正面で戦いを展開したり、
あまり合理的とも思えませんが。

ソ連との戦争は「我が闘争」に書いたことを実行に移すためだと言われています。
ユダヤ人虐殺もその流れでしょう。

33 :無名草子さん:04/01/02 17:10
アウシュヴィッツまで列車で輸送したと言うことは、
その前に一カ所に集めたと言うことなんだから、
そこで殺してしまうこともできたと思うんだけどな。
虐殺目的にしてはどうも効率が悪い気がする。

34 :無名草子さん:04/01/02 21:01
やっぱりユダヤ人の能力的ポテンシャルを真剣に恐れたんじゃないかというような気もする。
結果、現在はユダヤ系が世界の主要な部分を牛耳ってしまってるわけだし。
アメリカの戦争や、中東で日々多くの人が死んでるのも、世界的に見ればごくわずかなユダヤ人の権益を満たすために行われてるような気もする。
坂の上の雲読んでて、日露戦争の時、ロシアのユダヤ人は敵国である日本や国内の革命組織を支援してたって描写もあったけど、
第一次、第二次大戦を通して、ユダヤの豊富な財力や能力を対ドイツ(ナチ)のレジスタンスなんかに注ぎ込んでたとかいうようなことはないんだろうか。
ドイツ人でありながら露骨に連合国側を支援してたりとかいうことはないんだろうか。
ホロコーストのことばかり喧伝して、肝心の動機をユダヤ系が封殺してるような気がするのれす。

35 :無名草子さん:04/01/02 21:05
ナチに限らず歴史的に何度も迫害を受け続けてきたということは、何か根本的な問題があるはず。
最近のイスラエルとか見てるとわかるような気が、、、。

36 :無名草子さん:04/01/02 21:23
だけど当時のヨーロッパは、イスラエル建国を過激だと忌避してヨーロッパ
社会への同化を志向していたユダヤ人と、あくまでも旧約聖書の文言を信じて
イスラエルを建国しようとしていたシオニストのユダヤ人が、ユダヤ人内部でも
対立していた。シオニスト勢力は、同化派がヨーロッパを見限ってパレスチナ
に住まざるを得なくするために、ナチスに協力して同化派ユダヤ人への弾圧を
後押しした。ナチスのユダヤ人弾圧は、シオニストユダヤ人の後押しで行なわれた。
その意味ではナチスとシオニスト(のちのイスラエルの支配勢力)は共犯関係だった。
だけどシオニストは、そうした過去の汚点を隠すために、ドイツだけに罪を
被せた。ドイツを野蛮な犯罪民族あつかいにする情報操作は、20世紀初めから
散々に英国などで使われてきた。それが第二次大戦でも繰り返された。
日本の精薄な左翼かぶれは英国の対独プロパガンダやシオニストの姑息な
政治的策謀を見抜けずに英国や米国のプロパガンダのオウム返しをしている
だけなんだよ。

37 :無名草子さん:04/01/02 21:50
>>35
イスラエルの横暴に関しては、「夜と霧」にその理由の一つを垣間見ることが出来ます。
第二次大戦後、強制収容所から解放されたユダヤ人の中には
「自分たちはあれほど酷い目にあったのだから、少々の横暴は許される。」
と考える人間が少なからずいたそうです。

この思考パターンは決して特殊ではなく、旧日本兵にも見られます。敗戦後、国民の財産であるはずの軍需物資を我先にと略奪し、
中には、食料を航空機に積み込んで故郷まで飛んで逃げた元特攻隊員までいました。

38 :無名草子さん:04/01/02 21:57
>>37
そんなことをする帝国軍人がいるわけないだろう。
旧日本軍ほど、規律と統制がとれた美しい軍隊は、世界史上類を見ないんだよ。
そのような横領行為があったとしたなら、日本人に化けた朝鮮人の仕業だろう。

39 :無名草子さん:04/01/02 21:59
まあ、どっちも吉外だな(w

40 :無名草子さん:04/01/02 22:06
一般書籍板にもわいてキター!

41 :無名草子さん:04/01/02 22:06
>旧日本軍ほど、規律と統制がとれた美しい軍隊は

未だにそんなファンタジーを信じている奴がいるとは・・・

42 :無名草子さん:04/01/02 22:09
外国人捕虜に対し、最大限の敬意を持って望んだ東郷元帥

日本海海戦で負傷したロシアバルチック艦隊司令長官=ロジェストウィンスキー
を見舞う。

東郷元帥
「はるばるロシアの遠いところから回航して来られましたのに、武運は閣下に利あらず
御奮戦の甲斐なく、非常な重傷を負われました。今日ここでお会い申すことについて
心からご同情つかまつります。われら武人はもとより祖国のために生命を賭けますが、
私怨などあるべきはずがありません。ねがわくば十二分にご療養下され、一日もはやく
ご全癒くださることをお祈りします。(略)」

ロジェストウィンスキー(涙をにじませながら)
「私は閣下のような人に敗れたことで、わずかに自らを慰めます」

43 :無名草子さん:04/01/02 22:10
日の丸を元にしたパラオの国旗
パラオの国旗は,どうして日の丸とデザインが似ているのか.それには深いわけがある.パラオはドイツの植民地だったが,第一次大戦下,
この地域の戦争でドイツに勝った日本は,戦後,国際連盟からパラオを含むミクロネシア地域を委任統治することを求められた.日本はたく
さんの移民をこの地に送り,産業,教育,文化の発展に大きな功績を残した.第二次世界大戦後,この地域を占領したアメリカは,日本文化
の影響を徹底的に破壊した.南洋神社は取りつぶされた.校庭の二宮金次郎の銅像は引きずり降ろされた.
しかし,パラオ人は,心の中では勤勉の精神を教えてくれた日本人を敬い,日本統治時代を懐かしんでいる.その証拠にパラオ人の8割は,
その姓名のどちらかに,日本式の名前を付けているといわれる.私がお目にかかったれっきとしたパラオ人の上院議員のなかに,ウメタロウ
さんという方がいる.私は最初,この名前を,姓名の「名」のほう,つまりファースト・ネームだろうと思っていた.実際は,この方はスティーブ・
ウメタロウさんという.ウメタロウは,この方の「姓」だったのである.おそらく,身近にウメタロウという名前の尊敬すべき日本人がいたに違いない.
1994年,パラオはアメリカから独立した.独立にあたり国旗を制定することになり,国民の間から一般公募した結果,日の丸をもじった今のデザ
インに決まったというわけである.ただし,パラオの国旗の満月は,日の丸の旗の太陽とは違って,中心から少しズレている.日本に失礼だからと,
わざと中心をはずしたのだそうだ.これはパラオの人たちの慎み深い態度をよく表している.
パラオの国旗は,日の丸は侵略のシンボルなどではないこと,かつて日本の統治下にあった国で,日本の日の丸を模した国旗がつくられるほど,
戦前の日本と日本人はアジアの人たちから尊敬されていたことを教える実物教材である.

44 :"名誉テキサス人"に選ばれた誇り高き日系人たち:04/01/02 22:10
若者たちの戦場アメリカ日系二世第442部隊の生と死。ドロシーマツオ著。新庄哲夫訳。
第二次世界大戦時、アメリカ本土で収容所に入れられていた日系人、収容所に入れられることはなかったが屈辱的な仕打ちを受けたハワイ日系移民。
その若者たちが志願してアメリカ兵として欧州戦線で戦っていく。
JAPとして差別されていた彼等が、勇猛かつ献身的な戦いぶりにより次第に賞賛されていくのだ。

特にこのエピソードには泣けた。

フランス、ビフォンティーヌ東方で日系人から構成される第442部隊は休暇を取る間もなくドイツ軍によって包囲された大隊の救出を命じられた。テキサスからやってきたこの大隊は深入りしすぎたのだ。そして、多大なる犠牲を払い作戦に成功する。
それで師団長の将軍はじきじきにねぎらいとお褒めの言葉をかけようと、連隊長に命令した。一件も外出許可を出すな。全員足止めさせておけ。激戦の後でうっぷんを晴らしたいのはやまやまだろうが、と。
当日、各中隊の点呼結果が報告された。E中隊がその日連隊最大の中隊だった。整列した隊員42名。中隊の定員は197名だった。I中隊はわずか十数名しか残っておらず、たった一人の二等軍曹が指揮を執っていた。
将軍は連隊長を叱り、こうたしなめた。「連隊全員を集めろと言ったはずだぞ。外出許可を出したようだな」
連隊長は答えた。「連隊全員であります。残りは負傷、もしくは戦死しました」
―――この救出作戦は国防総省の米国陸軍十大重要戦闘の一つに指定されている。
しかし、たった一つの汚点として、師団長が442部隊を投入したのは、日系人を無茶な戦場で損耗しても構わない、という人種差別感情からか、無茶な戦場で任務を達成できるためには勇猛で精強な442部隊が存在していたからなのか。
兵士は言う。「指揮官は最もよく任務を達成できる兵を選ばなくてはいけないのだが、この場合は442部隊がそれに当たったのだ」と。
大隊の故郷テキサスで442部隊の兵士は名誉テキサス人に選ばれ、今でも再会すると助けられた者と助けた者は涙を流して抱擁するという。50年前の光景と同じように。

45 :「敵」の大将のために祈った三笠宮さま:04/01/02 22:11
日中戦争中、支那派遣軍参謀辻政信は三笠宮の示唆によって、蒋介石の母堂の命日に、その墓前で盛大な慰霊祭を行った。
このことは重慶側にも報道され、たまたま重大会議に出席中、その電報を受け取った蒋介石は、中座して自室に入り、鳴咽の声が洩れ聞こえたという。

46 :現地人からも愛される我が帝国軍人:04/01/02 22:11
世界の艦船 2002年7月号
田中知之「八重の潮路の果てに 第1期海軍兵科予備学生の記録<19>」より引用

チモール島の海軍第4警備隊の野中大尉、堀大尉が終戦でオーストラリア軍の
捕虜になったときの話。

 ただ一つ救いだったことは、彼らの収容所に現地人の襲撃がただの一度もなかった
ことであった。そればかりか夕暮れ時になると、鉄条網越しにバナナやマンゴーや
鶏までも差し入れて力づけてくれる村人たちも少なくなかった。この村人たちと
隊員たちとは、占領軍と被占領地の住民の関係ではなかったのである。石を投げられ、
罵声を浴びせられ、唾を吐きかけられることまでも覚悟していたほどなのに、予期
しない村人からの差し入れを受けて、髭づらの下士官が大急ぎで兵舎に戻って役に
立ちそうな新しい衣類などをお礼に渡しながら眼をうるませている光景を、野中大尉
はしばしば目にした。
「オーストラリア軍に見つかると大変だぞ」
 と注意しても、村人たちは聞かなかった。
「私はね、トアン(旦那)、インドネシア人です。豪州軍とは何の関係も無いんで……
奴らが文句を言うのは筋違いでしょう。私の心でやってることだから、だれにも
止められやしません」
 と、彼らは言うのだった。
「日本のトアンたちはオランダと違って、私たちを友達扱いしてくれた、今でも
それが嬉しいんですよ」
 とも、彼らは言った。野中大尉は以前にも、あるカンボン(部落)のラジャー
(村長)から、同じような意味のことを聞いたことがあった。
「ジャンカルトアン(海軍さん)は村の連中を本当に人間として扱ってくれました。
道路を歩いていても、挨拶すればどんな身なりをした村の者にも、にこにこと手を
挙げてくれます。どこかの人のように、車で通るときは道路の下におりて、しゃがんで
いなければならなかった時代に比べると、夢のようですから」
 こういう村人の姿に接すると、敗戦という事実に動転して己を失い、卑屈になって
いるのは自分ではないかと、野中大尉はしみじみ思い知らされたという。

47 :米軍将校を感激させた、石川町の人々の美しい心:04/01/02 22:12
1960年アフターバーナと呼ばれていた当時の横田基地新聞に次のような記事が載っていた。

素朴な善意に基地司令官も感激/墜落事故に町民の献身的協力

9月8日未明、北方定期気象観測に向かった横田基地の第56気象観測中隊所属ボーイングWB-50型機は40分後の午前3時頃突然
濃霧の中でエンジンから火をふき、福島県石川町近くのスギ山(標高500m)の山頂付近に墜落、爆発して一瞬のうちに乗務員11名の
生命を奪った。
石川町は東北本線白川駅より東へバスで一時間あまり、福島県のずっと南よりの方角にある素朴な農村の一つである。

事故発生と同時にこの平和な町の人々の示した活躍にはめざましいものがあった。
二百人あまりの消防団員が総出で遺体の収容から現場の整理に全力をあげ、町中の人々は炊き出しをして消防団を応援した。機は
四散、わずかに右の主翼が9メートルばかり原型をとどめているのみで、黒焦げになった四個のエンジンから時折小さな爆発音が
聞こえ惨たんたるものであった。

午前10時に基地から調査のヘリコプターが到着した時、ヘリコプターは同僚の安否を気づかう将兵たちを一刻も早く現場へ届ける
つもりが、土地不案内のためいたずらに旋回を繰り返すばかりだった。
これを知った人々はさっそく中学校生徒で人文字をつくり校庭へ無事着陸させた。
通訳も必要だろうと数里離れた古殿町の英語教師を朝の5時に起こして連れてきた。

以来第56中隊の将兵は連日のように石川町を訪れて調査、整理に従事しているが全員異口同音に町民の人々の示す国境を越えた
善意を賞賛している。
また、山頂には町民が建てた白木の墓標に、秋の草花が供えられ線香の煙が絶えない。

48 :米軍将校を感激させた、石川町の人々の美しい心:04/01/02 22:13
9月15日午後第56気象観測中隊司令部で司令ウォーレス中佐以下幕僚たちが緊張した空気の中に3人の日本人を待っていた。
福島県下の石川町から消防団長の酒井勝美、同副団長の小川弘一、同町庶務部長の有賀猶賀の三氏がはるばるやって来ると言うのである。
定刻、八時間を越す自動車旅行にもかかわらず元気に到着した三氏はずらっと並ぶ同中隊幹部将校の儀礼を受けてびっくり、会議の後司令
自らの案内で飛行場内のWB−50型気象観測機を見学した。
一行は大きな機体を見て、今更ながらに墜落事故がいかに激しかったかを思い起こしていた。

一行は将校クラブで夕食に招待され、金一封とWB-50型の模型機が贈られた。
5時第一ゲート前に整列した司令以下幕僚の挙手に送られて帰路についたが、美しい心をもった石川町の三人の代表にいつまでも手を振って
いる将校たちが印象的であった。
ウォーレス中佐は「本当に町の人にはお世話になった。不幸な事故で隊員を失ったのは残念だが石川町の美しい心に接して感激した」と話した。

その後、「異国で尊い生命を失った米軍人のために碑を建て慰めよう」という話しが持ち上がり、地元の人が発起人となって募金運動を始めた。
この人類愛に満ちた碑の建設計画に基地はもちろん、仙台調達局、福島県当局など各方面からも好意の基金が寄せられた。それに応えるかの
ように町の人々は数キロ離れた河原からこの山の麓まで大きな碑石を運び上げた。
こうして岸信介前首相の筆になる「米軍機殉職慰霊碑」の文字も鮮やかな高さ3メートルの黒ミカゲ石の立派な碑が事故現場の山の麓に建て
られたのである。

この石碑は現在も石川町に現存し、木立の中で静かに佇んでいるという。

49 :「敵」の助命嘆願書を提出した乃木将軍:04/01/02 22:13
水師営の会見 (明治38年1月5日)
 これが有名な「水師営の会見」です。皆さん見てお気づきになると思いますが、
全員が武装をしています。この時、負けた方が丸腰会見といいまして、
武器・武装の全てを相手に差し出すということで、戦いに敗れたステッセル将軍は、
自らの武装を解き乃木将軍に差し出したところ、
乃木将軍は「武装は軍人の魂である。差し出す必要はない。」と、
武士の情けを示され、世界中に高く賞賛されたそうです。
 その後、ステッセル将軍は、ロシアに帰り軍法会議にかけられ死刑の判決を受けます。
それを知った乃木将軍は、ロシア政府に6度にもわたり助命嘆願書を提出します。
その助命嘆願書の内容といいますのが、「この戦争は国と国との戦いであって、決してステッセル将軍が悪いのではない。」
というものだったそうです。
 このことがロシア政府にも認められ、死刑から無期懲役に減刑されます。
しかしながら、ステッセル将軍が刑を受けるようになって、
ステッセル将軍の家族は犯罪者の家族ということで国からの援助が一切絶たれ、
生活は日増しに苦しくなっていきます。それを聞いた乃木将軍は、毎年ご自分の給料の一部をさいて、
ステッセル夫人の元へ送金されていたそうです。その後、明治天皇御大葬のおり、
乃木将軍は静子夫人と共に後を追われ殉死されるのですが、そのことを知ったステッセル夫人は、大変深く悲しまれ、
今まで送られ一銭も手を付けなかったお金を差し出し、「これを乃木将軍へお供え下さい。御恩は一生忘れません。」と、
最大級の弔辞を述べられご香典として御霊前に届けられたそうです。 

50 :無名草子さん:04/01/02 22:15
南方総軍からの死守命令(玉砕命令)を受けた
ミイトキーナ守備隊指揮官、水上源蔵少将の
最後の作戦命令文

「ミイトキーナ守備隊ノ残存シアル将兵ハ南方ヘ転進ヲ命ズ」

部下将兵を助けるため、あえて抗命をした水上少将は、
部隊がイラワジ川を渡河し、撤退を見届けた後、自決。

明治二十一年山梨県出身
陸士二十三期

51 :無名草子さん:04/01/02 22:16
沖縄第32軍の袂別電報の最後

矢弾尽き天地染めて散るとても
    魂還り魂還り 皇国護らん

秋をも待たで枯れゆく島の青草は
    皇国の春に  よみがえらなむ


最初に読んだ時、この「魂還り魂還り 皇国護らん」って所で号泣した。
合掌。


52 :無名草子さん:04/01/02 22:17
長文御許し下さい。
靖国問題にしろ教科書問題にしろ必ず出て来る
「先の大戦でアジア諸国を侵略した日本」「近隣アジア諸国の反日感情」
「アジアの友好関係を乱す日本」
などという日本バッシングの決り文句を引っ張り出すのは韓国と中国であって
けっしてアジア諸国すべてがかつて日本に侵略されたという歴史観を持っている訳ではない。
あなた方は学生時代の近代史の授業で「なんで戦争なんてしたの?」
「日本が行った戦争はそんなにエゴイスティックな戦争だったの?」
という疑問を持たなかったか?
私は学校の授業が納得出来なかった。納得する為に教師に質問した。
が、しかし納得出来る説明をしてくれた歴史教師は居なかった。
真赤な全共闘世代の教師に聞いても無駄なことだと気付いたのは
社会人になってから海兵隊の基地で英会話を習いながら知り合った
米軍人とwwUについて話をする様になってからだ。
日本の歴史教育がどれほどひどい物だったのか。
日本人がアジアに対して自虐的になってしまった責任はいったい誰が取るのか。
先の大戦で日本に怨恨を持ち、自国の幼子に「日本国は下劣な侵略国」という
教育を政策として行っている国は自国の利益追求の為。
つまり外交手段の一環として行っている。
国内の腐れマスメディアの要職に就いているのは真赤な団塊バカどもだ。
みんな、もう目を醒まそうじゃないか。私は日本人に生まれて本当に良かったと思う。

53 :無名草子さん:04/01/02 22:18
現代は情報を朝○新聞や腐れ日教組から与えられる時代ではなく、自分で情報を集めることが
出来る。 アジア諸国、又、諸外国において、
大東亜戦争を敢然として開戦したwwU時の日本を尊敬している国々がちゃんとある。
日本のメディアには流されないがこれらの国の中には大臣や元首が日本を訪れた際には
必ず靖国神社に公人として参拝してくれる国もある。
なのにこの国の官僚、政治家どもは日本叩きで金を巻き上げる外交手段の2国の顔色をうかがって
英霊の弔いすらしない。情けない限りだ。
一部分であるうえ、無断でリンクを張るが、以下に揚げたサイトの記事に私は涙が流れる。
日本人に生まれた事を誇りに思う。

日本人より日本を愛する国
http://www2.justnet.ne.jp/~huujin/ase9907.htm

国際派日本人養成講座
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog102.html

日露戦争の世界史的意義
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog007.htm

記念艦三笠とニミッツ提督
http://www2.justnet.ne.jp/~masayoshi_fuse/nagoshi/nimitz.htm

To Japan from ASEAN
http://www2.justnet.ne.jp/~huujin/asean5.htm

「父祖の足跡に感謝する会から」
http://www12.u-page.so-net.ne.jp/fa3/fuj-kaz/index.htm#click-sitenhikaku

『英霊の言乃葉』
http://www.yasukuni.or.jp/

54 :無名草子さん:04/01/02 22:18
【ムルデカ 17805】 http://toho.co.jp/movie-press/merdeka/
1945年8月15日―
無条件降伏で終戦を迎えた大日本帝国。激しい混乱と動揺のなか、日本は平和国家として
祖国再建への一歩を踏み出そうとしていた。そして同じ日。遥か南方の地では、銃を手に
異国の人々と運命を共にすることを決意した日本兵たちがいた。スカルノらが勝ち取った
「インドネシア独立」の陰には、祖国に帰ることを選ばず、
自らの意志で異国の地に残った名も無き幾千の日本兵士の姿があった。
【17805の意味】
後の正副大統領・スカルノとハッタは、日本への感謝を表し、インドネシア独立宣言文に
日本の皇紀「2605(=西暦1945年)8月17日」で年号を書き入れ署名した。
これを、日・月・年の順に並べた5ケタの数字は、独立を宣言した日として、
いまもインドネシア国民に記憶されている。

55 :私は日本人だから責任はすべて私がとる:04/01/02 22:20
「諸君(台湾人兵士)はよく国の為に戦ってきた。しかし、今ここで軍の命令どおりに犬死にすることはない。祖国台湾には諸君らの生還を心から願っている家族が待っているのだ。私は日本人だから責任はすべて私がとる。全員、米軍の捕虜となろうとも生きて帰ってくれ」
そう言って、広枝音右衛門、海軍巡査隊長は、台湾人の命を保証するよう米軍と交渉した後、フィリピンの地で自決した。
昭和五十八年、小隊長をつとめた劉維添はかつての隊長の自決の地を訪れ、広枝隊長終焉の地の土を集め、茨城県に住むフミ未亡人の手にわたした。
広枝隊長は獅頭山の権化堂に神様として祀られ、鬼籍の人となった夫人も、広枝隊長の位牌とともに、かつての部下だった新竹警友会の人たちの手によって権化堂に祀られた。

「捏造された日本史」黄文雄

56 :まともだったのは日露戦争まで:04/01/02 22:20
三笠宮崇仁インタビュー「闇に葬られた皇室の軍部批判」より
(聞き手 中野邦観・読売新聞調査研究本部主任研究員) 

 ―最近また南京大虐殺について、閣僚の発言が問題になりましたが、同じような問題が何回も繰り返し問題になるのはまことに困ったことだと思います。
  三笠宮殿下はこの問題についてどのように受け止められておられますか。

三笠宮 最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺
    すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から「新兵教育には、生きてい
    る捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる」という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた
    教育とは一体何だったのかという懐疑に駆られました。

    また、南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられて
    おり、また、そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。これごそ虐殺以外
    の何ものでもないでしょう。

    しかし、日本軍が昔からこんなだったのではありません。北京駐屯の岡村寧次大将(陸士十六期・東京出身)などは、その前から軍紀、軍律の乱
    れを心配され、四悪(強姦、略奪、放火、殺人)厳禁ということを言われていました。私も北京に行って、直接聞いたことがあります。

    日清、日露戦争の際には、小隊長まで「国際法」の冊子をポケットに入れていたと聞きました。戦後ロシア人の捕虜が日本内地に収容されていま
    したし、第一次大戦の時にはドイツ人の捕虜がたくさん来ていました。彼らは国際法に基づいて保護されていましたから、皆親日になったのです。
    彼らの中には、解放後も日本に残って商売を始めた人達さえいました。神戸には今でも流行っているパン屋さんやお菓子屋さんがありますね。
(「THIS IS 読売」1994年8月号 P54〜P56)



57 :無名草子さん:04/01/02 22:20
エンガノ岬沖で断末魔の瑞鶴。生き残りの総員、傾斜した飛行甲板に
整列している。
艦橋の貝塚艦長、最後の訓示――
「皆よく聞け。本艦は既に撃つべき弾も撃ち尽くした。
エンジンも舵もストップしている。もはや思い残すことはない。
皆は最後の最後まで生き残り、御国のために戦ってくれ。
艦長は陛下からお預かりした本艦と運命を共にする。
ここに総員退艦を令する。」
「軍艦旗降ろし方!」
夕陽の中に響き渡る喨々たるラッパの響き。焼け焦げた戦闘旗がするすると
降ろされていく。滂沱たる涙を拭おうともせず、敬礼を送る乗員達・・・・。

58 :無名草子さん:04/01/02 22:21
明治37年、悪戦苦闘を極めた旅順戦で、第三軍司令官乃木希典大将は自身の二子をも失った。長男勝典は5月27日南山の戦闘で、次男保典は11月30日203高地の戦闘で、それぞれ戦死した。
保典戦死の報を聞いた乃木は、
「よく死んでくれた。これで世間に対し申し訳が立つ。よく死んでくれた。」
と言ったという。
文豪森鴎外はこの時、第二軍の軍医部長として十里河の前線にあったが、保典少尉戦死の報を知り、二子共に喪った乃木の心中を悼んで長編の詩を作った。それは「乃木将軍」という題で彼の「うた日記」の中に収められたが、その中での圧巻だと噂されている。

つはものの    武勇なきには  あらねども
真鉄(まがね)なす べとんに投ぐる 人の肉(しし)
往くものは    生きて還らぬ  強襲の
鉾(ほこさき)を  しばし転じて  右手のかた
図上なる    標(しるし)のたかさ 二霊三
嶺(いただき)の  ふたつ聳ゆる  石やまに
たえだえの    望みのいとを  掛けてこそ
きのうけふ     軍の主力を  向けてしか

59 :無名草子さん:04/01/02 22:22
霜月の   三十日の    夕まぐれ
将軍は   高崎山の    師団より
ただ一騎  柳樹房なる   本営に
帰らんと  曲家屯をぞ   過ぎたまふ
ほの暗き  道のほとりを  見たまへば
身うち皆  血に塗れたる  卒ありて
そびらには はやこときれし 将校の
亡骸を   かきのせてこそ 立てりけれ

汝は誰ぞ  そを何処にか  負ひてゆく
聞こし召せ 背負ひまつるは 奴わが
主と頼む  乃木将軍の   愛児なり
年老いし  将軍の家の   二人子
そのひとり 勝典ぬしは   いちはやく
南山に   討たれ給ひて 残れるは
おとうとの 保典のぬし  ひとりのみ
背負へるは その一人子の 亡骸ぞ

60 :児玉誉士夫随想・対談「われ かく戦えり」より:04/01/02 22:26
 自分は日本を発つ前に外務省情報部長河相達夫氏を訪ねて、外地を旅するに必要な援助と注意を受けたが、そのとき河相氏が数枚の写真を見せて
「これが天皇の軍隊がすることだろうか」と言って憤慨していたが、それは現地にある日本軍が中国の婦女に暴行を加えている、みるに堪えぬ写真
であった。そのとき、ふと、これは中国政府が民衆に抗日思想を宣伝するためのトリックではなかろうかと疑ったが、いろいろなできごとに直面し
てみると、この写真は真実であることを肯定せざるを得なかった。

当時、大同では「大同に処女なし」という言葉があったが、この言葉の意味は日本軍の恥辱を意味するものであった。また占領地の寺や廟に行っ
てみても仏像の首などが無惨にとり毀され、その壁には「何年何月何部隊占領」などと落書してあった。人間が神や聖人でないかぎり、どこの軍隊
でも若干の非行はあるとしても、当時、日増しに激化してきた中国の抗日思想の源が満州事変のみではなく、こうした日本軍の常識はずれの行為が
さらにそれに拍車をかける結果となったのだと思う。

61 :無名草子さん:04/01/02 22:26
父君は   心ををしく    我が主をも
隊附の   ままにあらせて  討死の
身の果ては おのれと三人   葬りをば
ひと時に  営めと宣(の)り  給ひしを
人人の   強ひて料らひ   つるにより
さいつ頃  友安旅団の    副官に
職かはり  まだ程経ぬに   この朝開(あさけ)
あへなくも 空しき骸(から)と なりましぬ

果てましし 処は高地    二霊三
眼鏡もて  敵の備えを   望みます
うら若き  額(ぬか)のただ中 打ち貫かれ
ひと言を  宣給はん    ひまもなく
持口の   南の峯に    うせ給ふ
その骸を  奴背負ひて   此の村に
ありと聞く 野戦病院    たづぬれど
くるほしき 心からにや   たづねえず

かくいふを 駒をとどめて  聞きましし
将軍は   病院の旗    あるかたを
鞭あげて  彼方にこそと  さし給ふ
面ざしは  かはたれ時に  見えねども
目ざとくも 雲の絶間ゆ   覗ひし
さむ空に  まだ輝かぬ   冬の星
更闌けて  友なる星に   将軍の
睫毛だに  動かざりきと  語りけり


泣こうにも泣けない老将軍の心を察し、文豪が作った鎮魂歌であった。

62 :無名草子さん:04/01/02 22:27
大和民族として日本に生まれたこと、
日本人として日本に生まれたことを、心から誇りに思います。

63 :無名草子さん:04/01/02 22:28
大和民族として日本に生まれたこと、
日本人として日本に生まれたことを、心から誇りに思います。




64 :無名草子さん:04/01/02 22:30
>>60
お前朝鮮人だろw

65 :徳川義寛「侍従長の遺言」より:04/01/02 22:31
昭和十二年の南京占領の時、日本軍がひどいことをしたということは、私は当時から知っていました。
中国人捕虜を数珠つなぎにして撃ち殺すとか・・・。私の大学の友人で軍医だったのが、朝香宮さまの
お供で現地へ行って見聞した話を、私は聞いていたからです。
 それに、南京攻略の総大将松井石根さんは名古屋の人で、私の母(徳川寛子)が松井さんの奥さんをよ
く知っていましたし、私の父(義恕)は名古屋の軍人の会の会長をしていましたから。
 松井さんは中国の勤務が長く、南京攻略後、「相手の死者も浮かばれまい」と、現地で日中両方の死者
の慰霊祭をやろうとした。ところが、下の師団長クラスの連中に笑われ反対されたということでした。
みな、「戦争なんだからそういうこともあっても・・・」といった感じだったそうです。
 松井さんは日露戦争も経験していたから、日本の捕虜の扱いが日露の頃は丁重だったことをよく知っていた。
しかし、南京では、上の言うことを下が聞かず、軍紀の抑えがきかなくなっていた。それで松井さんは後に熱海
に興亜観音を造った。松井さんは立派だったと思いますね。
 南京虐殺があったとか無かったとか論争があるようですが、当時も関係者の多くは事実を知っていたんです。
陛下が知っておられたかどうかはわかりませんが、折に触れて「日露戦争の時の軍と違う」ということはおっ
しゃっていました。明治天皇のご事蹟をよく知っておられましたから。

66 :無名草子さん:04/01/02 22:36
南京で400万人も虐殺した日本人って、世界一残虐な民族だよねー。

67 :「最後の殿様―徳川義親自伝」より :04/01/02 22:36
ぼくが慰問を終えて帰国の途についた数日後のことだが、日本軍が南京で大殺戮を行なった。殺戮の内容は、十人斬りをしたとか、
百人斬りをしたとかというようなものではない。今日では、南京虐殺は、まぼろしの事件ではなかろうか、といわれるが、当時ぼ
くが聞いたのは数万人の中国民衆を殺傷したということである。しかもその張本人が松井石根軍団長の幕僚であった長勇中佐であ
るということを、藤田くんが語っていた。長くんとはぼくも親しい。
 藤田くんは、ぼくが中国を去ったあとも、まだ上海にとどまっていた。麻薬のあと始末や軍と青幇との交渉などをしていたときに、
南京から長勇中佐が上海特務機関にきて、藤田くんに会った。長中佐は大尉のとき橋本欣五郎中佐の子分になって、十月事件では、
橋本くんを親分とよび、事件に資金を出した藤田くんを大親分とよんで昵懇にしていた。そのうえ二人は同郷の福岡の関係でいっそ
う親しい。その親しさに口がほぐれたのか、長中佐は藤田くんにこう語ったという。
 日本軍に包囲された南京城の一方から、揚子江沿いに女、子どもをまじえた市民の大群が怒涛のように逃げていく。そのなかに多
数の中国兵がまぎれこんでいる。中国兵をそのまま逃がしたのでは、あとで戦力に影響する。そこで、前線で機関銃をすえている兵
士に長中佐は、あれを撃て、と命令した。中国兵がまぎれこんでいるとはいえ、逃げているのは市民であるから、さすがに兵士はちゅ
うちょして撃たなかった。それで長中佐は激怒して、
「人を殺すのはこうするんじゃ」
と、軍刀でその兵士を袈裟がけに切り殺した。おどろいたほかの兵隊が、いっせいに機関銃を発射し、
大殺戮となったという。長中佐が自慢気にこの話を藤田くんにしたので、藤田くんは驚いて、
「長、その話だけはだれにもするなよ」
と厳重に口どめしたという。



68 :無名草子さん:04/01/02 22:39
陸軍の嘱託カメラマンとして第10軍に従軍した河野公輝氏による証言
『日中戦争、日・米・中報道カメラマン記録』翔泳社
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杭州湾敵前上陸はすごかった。僕のついて行った部隊は柳川兵団(第10軍)だが、この兵団は北支
にいて日本に凱旋する寸前のところで前線に駆り出されたものだから、アタマにきていた。上陸して
からは次々と(中国人)をぶっ殺していった。銃剣で刺すなんて生やさしいものではなく、棍棒でぶっ
殺す。男も女も区別はなかった。バクッと叩く、血がブァーと噴き出してね・・・

・・・川沿いに、女たちが首だけ出して隠れているのを引き上げてはぶっ殺す。そして陰部に竹を突き刺
しては放置した。杭州湾から昆山まで、道端にそういう死体が延々と転がっていた。読売のカメラマンで、
錯乱した奴がいた。やってもしょうがないのだが、飛び出してやめさせようとする者もいた。普通の百姓
だと言ってね。しかし兵隊はそんなのにかまわずぶっ殺していった。・・・
・・・それに蘇州の女というのがまたきれいでね。美人の産地だからね。兵隊は手当たり次第に暴行して、
犯した後必ず殺していたな。


69 :無名草子さん:04/01/02 22:44
復員兵が言ってたから「虐殺はあった」とか言い出すんなら
下のようなものもOKってことになっちゃうね。
あれは平成四年八月初めの暑い日であった。
山口県の萩の松蔭神社を訪問した際、その途中で下関に降り立ち、
いまは亡き森王琢氏を訪ねたことがあった。
明治四十二年生まれの森王氏は、そのとき八十三歳、小柄ながら
矍鑠たる体躯で、その人となりは、高潔そのものという感じであった。
お話によれば、氏は陸士43期生で、南京総攻撃に際しては、京都第十六
師団歩兵第二十連隊第三大隊の大尉であったが、大隊長戦死のため、大隊長
代理として参戦されていた。
お話が進むと、やがて氏は、言葉静かに「南京虐殺など見たことも聞いた
こともない」ともらされた。
その口調は穏やかであったが、真実が歪められていることに、我慢ならない
といった風情であった。

70 :無名草子さん:04/01/02 22:45
--南京では大虐殺が行われたと言われていますが・・・。
三苫--私は陥落直後の南京を見ておりますから、自信を持って
言えることですが、大虐殺の話なんか見ても聞いてもおりません。
痕跡すら何一つありませんでした。
(略)
日本軍兵舎に収容生活を送り、半年ばかりして引き揚げてきた
のですが、この間一度も虐殺の話を聞いていません。
虐殺の話を知ったのは、例の極東軍事裁判で問題にされたからです。
あれは戦勝者のでっち上げです。
私は全く信じておりません。
--そのほかに何か当時を知る参考になることがありましたら・・。
三苫--それにはこれを見てください。
私が南京支局に勤務している時、南京陥落二周年がめぐってきました。
本社では記念特集を企画しました。
福日南京支局では中国人夫妻をボーイとして雇っておりました。
二人は戦争中も南京にいて、当時のことを詳しく知っていました。
私は匿名の条件でいろいろ聞きただして記事にしました。
その記事は福日紙の昭和14年12月10日付第7面に載りました。
難民区の有り様がよくわかると思いますので、読んでみます。
見出しは


71 :無名草子さん:04/01/02 22:46
「難民に当時を聴く、恐怖の拉夫、拉婦、目に余る中央軍の暴虐」
で、男の名前は黄真民(仮名。27歳)で、南京より南方十里ほど
隔てた郷土の出身で、中学卒業の学歴があり、女は陳美君(仮名。
26歳)で母は蘇州人です。

記者--日本軍がやってきた時君たちは何処で如何していたか。
黄--私たち夫妻は国際委員会で設定された南京城内西北の山二紙路
からズッと入ったイホロの難民区にいました。
難民区には三十万の難民が混雑していました。
中央軍の兵士が銃槍を持って夜となく昼となく交る交るやって来て
難民を検察し、食料や物品を強奪し、お金と見れば一銭でも二銭でも
捲き上げて行きました。
最も恐がられたのは拉夫、拉婦で独身の男は労役に使うため盛んに
拉致されていき、夜は姑娘が拉致されていきました。
中央軍の横暴は全く眼に余るものがありました。
(略)
記者:難民区の中には支那兵は居なかったのか。
(略)
黄:居りました。
それは皆発見されて捕らえられていきました。
記者:君は支那兵と間違えられるようなことはなかったか。
黄:手や頭など調べられましたが肌の色が兵士と違うし、
又私には妻があったので、中国兵でないということがすぐ
諒解されました。
(略)
記者--君の郷里は南京からそう遠くはない

72 :無名草子さん:04/01/02 22:46
避難しなかったのか。
黄--それは途中に土匪が多いからです。中央軍も沢山います。
記者--中央軍が居た方が土匪が来なくて都合がよくはないか。
黄--いいえ中央軍も土匪と同じです。
金や品物を持って居れば、殺したり、強奪したりするのです。
(略)
記者--それで土匪や中央軍が恐かったわけだね。
黄--恐いものはもっとあります。
記者--それは何だ?
黄--悪人です。
支那には悪人が沢山います。
一面識のあった私の朋友が、私に金があることを羨んで、悪人に通じた
のです。
それでその悪人が私を捉えて懐中の八百元を強奪して逃げました。
記者--それは何時頃のことか。
黄--日本軍人進城の時です。
その悪い朋友は今は何処かへ姿を晦まして帰ってきませんが、金を奪った
悪人はまだ南京にいて時々顔を合わせます。
その悪人の被害者は沢山あります。

73 :無名草子さん:04/01/02 22:46
記者--何故警察に届けぬのだ。
黄--いいえ、それは無駄です。
悪人は徒党を組んでいます。
私から金を奪った悪人は今は食うものがなくてひどく貧乏をしています。
(略)

三苫氏は南京支局長時代、家族づれで南京に赴任していた。
お嬢さんが一人おり、一年生から五年生まで南京の日本人学校
に通っていた。
お嬢さんはインタビューの間、同席していらしたので、南京大虐殺
の話を持ち出すと、「そんな話は聞いたことがありません。あちらでは
近所の支那人の子供たちともよく遊びましたが、彼らからもそのような
噂すら聞きませんでした。」

「「南京事件」日本人48人の証言」阿羅健一
福岡日々新聞・三苫幹之介記者の証言


74 :無名草子さん:04/01/02 22:48
コピペ君、このスレにコピペ頼む。
http://hobby4.2ch.net/test/read.cgi/occult/1054671006/l50

75 :軍規の乱れは当時から問題になっていたんだが:04/01/02 22:51
二十一 再び今昔の感 (十三年十月〜十二月)

 将兵の言動を観察し、日露戦役北清事変の昔時に比べて低下したと思われる点概ね左のとおりである。

(イ) 上官に対する服従心の低下(犯罪統計、言語態度、敬礼等)

(ロ) 性道徳の低下(強姦、慰安婦随行)

(ハ) 公共心の欠乏は益々甚しい(兵器破損したとき修理機関へ送付するの労を省き、これを路傍に遺棄する。他隊の馬を盗むこと流行、前送洫兵品の横取り等々、なお後述)

(ニ) 幹部で横領、収賄の罪を犯すものあり

(ホ) 処置面倒なりとて俘虜を殺す蛮風あり

(「岡村寧次大将資料」(上) P318〜P319)


76 :無名草子さん:04/01/02 23:15
http://www.geocities.com/TheTropics/Paradise/8783/15a.html
 洞氏は『南京大虐殺の証明』の中で、第16師団長中島今朝吾
中将の日誌に、「大体捕虜はせぬ方針なれば」とあるのを、捕虜
の集団処刑が軍命令、師団命令によってなされていたの_ーない
かと推測している(前掲書304ページ)。
 洞氏にかぎらず虐殺派はおしなべてこの中島中将の「捕虜はせぬ
方針」というのを一般に誤解して、南京の捕虜はかたっぱしから殺
害したかのごとく主張するが、決してそうではない。これについて
大西一上海派遣軍参謀はこう述べている。
 「それは銃器を取り上げ釈放せい、ということです。中国兵は全
国各地から集っていますが、自分の国ですから歩いて帰れます」
(「正論」61・5阿羅健一著「日本人の見た南京陥落」)。
 さらに大西参謀は軍命令、師団命令で、捕虜殺害命令など絶対に
出ていないと断言している。

これは歩兵学校の「捕虜ノ処置」や第十三師団の「戦闘ニ関スル教示」に合致
する。

77 :無名草子さん:04/01/02 23:16
朝香宮中将の「捕虜殺害命令」というのは、デービッド・バーがミニ
が「天皇の陰謀」という本で主張したことだが、その内用は、アメリカの
歴史家たちから大きな疑問を投げ掛けられている。
たとえば、アメリカン大学名誉教授リチャード・フィンは、アイリス・チャン
著「ザ・レイプ・オブ・南京」に関連して、

「朝香宮やその参謀が「捕虜はすべて殺せ」

という、かの悪名高い命令を発したという、信頼に足る証拠も
ない」と指摘している。
また、スタンフォード大学歴史学部長デビッド・ケネディは「アトランティック
・マンスリー」19998年4月号に寄稿して次のように述べている。

「バーガミニは、明らかに奇抜な論点に基づいて書かれた自著「天皇の陰謀」
(1971年)で、南京虐殺とその他の残虐行為を正面から天皇ヒロヒトの責任
であると決めつけようとした。
しかし、(アイリス)チャンは「不幸にして、バーガミニの著作は定評ある
歴史家たちの痛烈な批判を浴びている」点を認めざるを得なかった。
だが、これは控えめな表現というものだ。
現に評者の一人は、バーガミニの記述は、「歴史ドキュメンタリー作成の
あらゆる基準を無視した場合にのみ信用できる」と述べているのである。
歴史家のバーバラ・タックマン女史は、バーガミニの主張は「ほぼ完全に、著者
の推論と悪意ある解釈を好む性向の産物である」と述べている。」

78 :無名草子さん:04/01/02 23:16
一方、中島師団長の日記には確かにこうした一節が存在するが、「処理」が「殺害」
を意味すると解釈するのは短絡にすぎる。
南京戦の四カ月前の八月五日、陸軍次官は「交戦法規ノ適用ニ関スル件」という通牒
を出し、戦闘の惨害を軽減するためにも「交戦規則(国際法)を努めて尊重し降伏
を申し出てきた敵兵を殺害するな」と命じている。
この通牒を踏まえて上海派遣軍第十三師団司令部は10月9日、「戦闘に関する教示」
という訓示を出し、「多数の俘虜が出た場合は射殺せずに終結監視した上、司令部
に報告すること。一方、捕虜が少数なら適宜処置すること」を命じた。
この訓令を出した日、上海派遣軍の飯沼参謀長は各師団の参謀長を集めて「彼等(中国
政府)は日本軍に捕らわれれば殺されると宣伝しあり、之を是正する」よう命じて
いる。
つまり、この「訓令」の目的は「日本軍に捕らわれれば殺される」という中国軍
の宣伝を是正することにあった。
是正するためにも「日本軍に捕まっても殺されない」という事実を中国兵に知らせる
必要がある。
こうした文脈から考えれば、「捕虜の適宜処置」を単純に「捕虜処刑」と解釈する
ことはできない。
日本政府の公式文書における「捕虜の取扱い方針」とは、戦争の惨禍を軽減する
ためにも少数の場合は適宜釈放せよ、というものであったと見るべきであろう。
この方針に基づき、南京戦でも数千名の投降兵を捕虜として収容した実績がある。
「捕虜をすべて殺害せよ」とする公式文書は存在しない上、公式文書にそれとは
逆のことを明示している以上、「日本軍は初めから捕虜を殺害する方針だった」
との非難は全く成り立たない。

「再審「南京虐殺」」

79 :無名草子さん:04/01/02 23:17
陸軍歩兵学校が昭和8年に刊行した「対支那軍戦闘法ノ研究」の中に
「捕虜ノ処置」という項目があります。
その項目の教授範例にこうあります。

「捕虜ハ他列国ニ対スル如く必ズシモ之ヲ後送監禁シテ、戦局ヲ待ツヲ要セズ、
特別ノ場合ノ外之ヲ現地又ハ他ノ地方ニ移シ、釈放シテ可ナリ。」
-----------------------------------------------------------------
昭和12年10月の第十三師団司令部の「戦闘ニ関スル教示」は、投降兵
は射殺しないで武装解除後に適宜追放せよと訓令していた。

80 :無名草子さん:04/01/02 23:20
岡村寧次が「南京攻略時、数万の市民に対して掠奪強姦等の大暴行
があったことは事実である」と回想録に書いていることは確かである。
しかし、この「回想録」は、1963年に「記憶を呼び戻して」書いたもの
(つまり3等資料以下ということ)である上、彼は当時南京戦に参加
していない。
1938年6月に「安全委員会の被害届」を読んだ参謀などから上海で
日本軍の暴行を聞いただけなのであり、その中身も「掠奪・強姦」で
あって、民間人を対象とした大量虐殺などではなかった。
では、その「被害届」なるものはどのようなものであったのか、以下
に示そう。

 こうした要望や告発の日本側の窓口は、当時外交官補佐の福田篤泰
(とくやす)氏である。
福田氏はのちに吉田首相の秘書官をつとめ、代議士となり、防衛庁長官、
行政管理庁長官、郵政大臣を歴任した信望ある政治家で、筆者ともに昵墾
(じっこん)の間柄である(東京・千代田区在住)。
福田氏は当時を回顧してこう語っている。
 「当時ぼくは役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の
事務所へ出かけた。
出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。
 『いまどこどこで日本の兵隊が15、6の女の子を輪姦している』。

81 :無名草子さん:04/01/02 23:20
公文書で残ってますがな
第114師団歩兵第127旅団歩兵第66連隊第1大隊 戦闘詳報

[12月12日午後7時ころ] 最初の捕虜を得たるさい、隊長はその三名を伝令として抵抗断念して
投降せば、助命する旨を含めて派遣するに、その効果大にしてその結果、我が軍の犠牲をすく
なからしめたるものなり。捕虜は鉄道線路上に集結せしめ、服装検査をなし負傷者はいたわり、
また日本軍の寛大なる処置を一般に目撃せしめ、さらに伝令を派して残敵の投降を勧告せしめたり。

[12日夜] 捕虜は第四中隊警備地区内洋館内に収容し、周囲に警戒兵を配備し、その食事は捕虜
二○名を使役し、徴発米を炊さんせしめて支給せり。食事を支給せるは午後十時ごろにして、
食に飢えたる彼らは争って貪食せり。

[13日午後2時] 連隊長より左の命令(コピペ注:下の命令)を受く。
旅団命令により捕虜は全部殺すべし。その方法は十数名を捕縛し逐次銃殺してはいかん。

[13日夕方] 各中隊長を集め捕虜の処分につき意見の交換をなさしめたる結果、各中隊に等分に
分配し、監禁室より五十名宛連れだし、第一中隊は路営地南方谷地、第三中隊は路営地南方凹地、
第四中隊は路営地東南谷地付近において刺殺せしむることとせり。(中略)各隊ともに午後五時
準備終わり刺殺を開始し、おおむね午後七時三十分刺殺を終わり、連隊に報告す。第一中隊は当
初の予定を変更して一気に監禁し焼かんとして失敗せり。
捕虜は観念し恐れず軍刀の前に首をさし伸ぶるもの、銃剣の前に乗り出し従容としおるものあり
たるも、中には泣き喚き救助を嘆願せるものあり。特に隊長巡視のさいは各所にその声おこれり

82 :無名草子さん:04/01/02 23:20
あるいは『太平路何号で日本軍が集団で押し入り物を奪っている』等々。
その訴えをマギー神父とかフイッチなど3、4人が、ぼくの目の前で、どん
どんタイプしているのだ。
 『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議
されても困る。』と幾度も注意した。
時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。
住んでいる者もいない。
そんな形跡もない。そういうことも幾度かあった。
 ある朝、アメリカの副領事館から私に抗議があった。
『下関(シャーカン)にある米国所有の木材を、日本軍がトラックで盗み
出しているという情報が入った。何とかしてくれ』という。
それはいかん、君も立ち会え!というので、司令部に電話して、本郷(忠夫)
参謀にも同行をお願いし、副領事と3人で、雪の降る中を下関へ駆けつけた。
朝の9時頃である。
現場についてみると、人っ子一人もおらず、倉庫はカギがかかっており、
盗難の形跡もない。
『困るね、こんなことでは!』とぼくもきびしく注意したが、とにかく、
こんな訴えが、連日山のように来た。
 テインパーリーの例の『中国における日本軍の暴虐』の原資料は、
フイッチかマギーかが現場を見ずにタイプして上海に送稿した報告があら
かただと僕は思っている」。注(2)
 ちなみに、国際委員会書記長スミス博士も、「ここに記された事件
(日本軍非行425件)は検証したものではない」と述べている。

これが実情である。
こういったものについて、ドイツ大使館のシャルフェンベルクはこういって
いる。
「第一、暴行、暴行と言っても、ただ中国人の言うことをそのまま書いて
いるだけじゃないか」と。

83 :無名草子さん:04/01/02 23:23
上海派遣軍第9師団歩兵第6旅団「南京城内掃蕩要領」「掃蕩実施に関する注意」(旅団長 秋山義兌少将)

一、遁走せる敵は、大部分便衣に化せるものと判断せらるるをもって、その疑いある者はことごと
  くこれを検挙し適宜の位置に監禁す
一、青壮年はすべて敗残兵または便衣兵と見なし、すべてこれを逮捕監禁すべし


84 :無名草子さん:04/01/02 23:23
(旅団命令の結果)
今井正剛(元朝日新聞特派員)証言 (上記の命令の結果)

…「先生、大変です。来て下さい」
血相を変えたアマにたたき起こされた。話を聞いてみるとこうだった。
すぐ近くの空地で、日本兵が中国人をたくさん集めて殺しているというのだ。その中に近所の洋服屋の楊の
オヤジとセガレがいる。まごまごしていると二人とも殺されてしまう。二人とも兵隊じゃないのだから早く
行って助けてやってくれというのだ。アマの後ろには、楊の女房がアバタの顔を涙だらけにしてオロオロし
ている。中村正吾特派員と私はあわてふためいて飛び出した。

支局の近くの夕陽の丘だった。空地を埋めてくろぐろと、四五百人もの中国人の男たちがしゃがんでいる。
空地の一方はくずれ残った黒煉瓦の塀だ。その塀に向って六人ずつの中国人が立つ。二三十歩離れた後ろか
ら、日本兵が小銃の一斉射撃、バッタリと倒れるのを飛びかかっては、背中から銃剣でグサリと止めの一射
しである。ウーンと断末魔のうめきが夕陽の丘一ぱいにひびき渡る。次、また六人である。
つぎつぎに射殺され、背中を田楽ざしにされてゆくのを空地にしゃがみ込んだ四五百人の群れが、うつろな
眼付でながめている。この放心、この虚無。いったいこれは何か。

85 :無名草子さん:04/01/02 23:24
そのまわりを一ぱいにとりかこんで、女や子供たちが茫然とながめているのだ。その顔を一つ一つのぞき込
めば、親や、夫や、兄弟や子供たちが、目の前で殺されてゆく恐怖と憎悪とに満ち満ちていたにちがいない。
悲鳴や号泣もあげていただろう。しかし、私の耳には何もきこえなかった。パパーンという銃声と、ぎゃあっ、
という叫び声が耳一ぱいにひろがり、カアッと斜めにさした夕陽の縞が煉瓦塀を真紅に染めているのが見え
るだけだった。
傍らに立っている軍曹に私たちは息せき切っていった。
「この中に兵隊じゃない者がいるんだ。助けて下さい。」
硬直した軍曹の顔を私はにらみつけた。「洋服屋のオヤジとセガレなんだ。僕たちが身柄は保証する」

「どいつだかわかりますか」
「わかる。女房がいるんだ。呼べば出て来る」
返事をまたずにわれわれは楊の女房を前へ押し出した。大声をあげて女房が呼んだ。
群衆の中から皺くちゃのオヤジと、二十歳位の青年が飛び出して来た。
「この二人だ。これは絶対に敗残兵じゃない。朝日の支局へ出入りする洋服屋です。さあ、お前たち、早く帰れ」
たちまち広場は総立ちとなった。この先生に頼めば命が助かる、という考えが、虚無と放心から群衆を解き放
したのだろう。私たちの外套のすそにすがって、群衆が殺到した。無言で硬直した顔をこわばらせている軍
曹をあとにして、私と中村君とは空地を離れた。何度目かの銃声を背中に聞きながら。
『特集文藝春秋--私はそこにいた<目撃者の証言>』1956年12月

86 :無名草子さん:04/01/02 23:25
>>36
とても興味深いです。
もっと知りたいのですが、その辺のことが書かれてる本とかサイトとかありませんか?

87 :86:04/01/02 23:27
>>1
に書いてましたね。すいません。

88 :無名草子さん:04/01/02 23:28
>>86
ガス室否定論まで信じるなよw

89 :無名草子さん:04/01/02 23:29
ジャーナリストたちは、南京陥落後は、南京城内を自由に見て
歩くことができた。
軍人への取材や報道には規制が加えられたが、彼らが南京城内
やその周辺を歩き見ることに対しては、ほとんど規制はなされて
いなかった。
そのジャーナリストたちのほとんどが、戦後になっても「大虐殺」
なるものを見たことはないと証言している。--この事実は、重大である。
ただし、「大虐殺」を目撃したと証言している日本人ジャーナリスト
がまったくいなかったわけではない。
戦後、今井剛、鈴木二郎、小俣行男の三名が大量殺害場面を目撃
したとの手記を発表している。
しかし、この三名の証言が検証された結果、今ではほとんど信憑性
がないことが明らかになっている。

「再審「南京大虐殺」世界に訴える日本の冤罪」竹本忠雄・大原康男

90 :無名草子さん:04/01/02 23:29
当時の日本側マスコミ、文化人が「虐殺など
 見たことも聞いたこともなかった」と述べている。
 南京に入城したのは約120人の新聞記者やカメラマンだけではない。
 大宅壮一、木村毅、杉山平助、野依秀市、あるいは西條八十、草野心平、林芙
 美子、石川達三といった高名な評論家や詩人、作家も陥落とほとんど同時に入
 城している。このほかにも、南京陥落後、13年の春から夏にかけて、南京を
 訪れた有名人は大勢いる。これらの人々は、帰国するや色々な雑誌や新聞にレ
 ポートを書き、講演もしている。
米人マギー牧師は2日間にわたって日本軍の犯罪行為を並びた
 てたが、ブルックス弁護人の反対質問にあって、マギー証人が
 殺人を目撃したのはたった一件、それも占領直後日本兵に誰何
 (「だれか?」と声をかけ姓名などをたずねること)されて逃
 げ出した男が撃たれるのを見たというのである。
 南京安全区国際委員会のメンバーとして、日本軍の占領期間
 中、日本軍の行動を監視するため自由行動をとっていた米人牧
 師が、その目で見た殺害事件は前述の一件、強姦一件、窃盗一
 件のわずか三件のみで、他は全部伝聞に属するものであったこ
 とが暴露されている。

終戦後の「南京地方法院検察敵人罪行調査報告」はもちろん日本兵の
 暴行を主張しているが、その南京市民に対する聴き取り調査において、
 日本の罪行を訴える者が「甚だ少なき」、南京虐殺説を聞くと、人々は
 唖然として「冬の蝉の如く口を噤みて語らず」、また、南京虐殺を
 「否認する者」までいた、と報告している。

91 :無名草子さん:04/01/02 23:30
--当時の従軍記者で大虐殺を証言している人もいますが、例えば
今井剛記者です。

足立--今井君はもう亡くなってますから。

--今井記者はよく御存知ですか。

足立--今井君は同じ社会部で接触はありました。
親しくはありませんでしたが。
亡くなった人のことは言いたくない。

--お気持ちはわかりますが、今井記者のことで知っていることを
お聞かせください。

足立--今井君は自分で見て書く人じゃなかった。
危険な前線には出ないで、いつも後方にいたと聞いている。
南京でもカメラマンなど何人か死んでますからね。
今井君は人から聞いたことを脚色して書くのがうまかった。
筆を走らせるというのかな。
しかし、文はうまいとされていた。

--今井氏は入城式の原稿も見ないで書いたと言われますが、いわゆる予定稿
というやつ。

92 :無名草子さん:04/01/02 23:30
足立--一般に予定稿というのはあった。
天皇陛下が出席される行事などはそうだった。
当日、一緒に行動して予定の変更があれば訂正する。
今井君の南京の入城式の記事が予定稿だったかどうかは記憶にないが、
締め切りに間に合わせるためには考えられることです。
入城式の記事は別にして、今井君の原稿にはフィクションがあったかもしれない。
(略)

「「南京事件」日本人48人の証言」阿羅健一
東京朝日新聞・足立和雄記者の証言

93 :無名草子さん:04/01/02 23:31
http://www.geocities.com/TheTropics/Paradise/8783/15a.html#15
 もう一人、「朝日」の大先輩でやはり南京特派員であった足立和雄氏は畠
中氏にこう答えている。
 「私は南京大虐殺なんて見ていません。あなた(畠中)がどういう立場の
人か存じませんが、南京大虐殺の証言はできませんョ」
 きつくそう断られたが、押し問答の末、立場をはっきりし、お目にかかった、
畠中氏はかねて疑問に思っていた“虐殺目撃者”として名乗り出た「朝日」の
記者今井正剛氏について尋ねてみたそうである。足立氏は一言のもとに、今井
氏をこう評したと言う。
 「あれは自分で見て記事を書く人ではなかった。人から聞いたことを脚色
するのが上手かった。」
 婉曲に彼の「文芸春秋」で発表した2万人の虐殺を見たかのごとき作文など
怪しいものである旨示俊したのである。はからずも同じ「朝日」の森山喬氏が
筆者に語った今井評と一致する。森山氏も彼の虚言を立証している。なぜなら
当時彼と一緒に南京で寝室を同じくして取材しているのに、そんな話はついぞ
聞いたことがないと言うのである。

94 :無名草子さん:04/01/02 23:39
大宅壮一も目撃していた。
基本的に彼は御用ジャーナリストだったので、あまり南京事件について
話したがらなかったようであるが、それでも次のことを喋っている。

「入城前後、入城までの過程において相当の大虐殺があったことは事実だと思う。
三十万とか、建物の三分の一とか、数字はちょっと信用できないけどね。まあ
相当の大規模の虐殺があったということは、私も目撃者として十分いえるね」
大宅壮一『サンデー毎日』臨時増刊号1966年

95 :無名草子さん:04/01/02 23:40
石川達三の南京攻略戦従軍記録「生きてゐる兵隊」(角川文庫所収)には
1937年八月以来、中国各地で中国住民を物資調達のために虐殺し女性を
強姦していたことが書かれている。
この本を書いたことで石川達三は禁固四ヶ月の刑に処せられている。

96 :36:04/01/02 23:43
>>86 わたしは1さんとは別人だし無縁です。
ただ、19世紀以降の戦争扇動や民族嫌悪のデマ宣伝の歴史に興味があり、
その側面でシオニストがことのほか悪質な宣伝を継続し、日本のナイーヴな
連中がそれを真に受けてきた(&現在も以前として真に受けている)現状を
悲しんでいます。
シオニストがのちに利用することになったドイツ嫌悪のおぞましいウソ宣伝に
ついては『戦争報道の内幕』(フィリップ・ナイトリー著)をまずよむべし。
翻訳は抄訳でしかなく、重要な記述がばっさり落ちている酷いものですが、それでも
貴重な事実を知ることは出来る。洋書なら、この辺りから手を着けてみては
いかがかと……。
『51 Documents: Zionist Collaboration With the Nazis 』

97 :無名草子さん:04/01/02 23:43
>>94
まず、入城前に目撃することは不可能で、大宅も南京に来ていないんだから
物理的に見れるわけもなく、だからこそ見ていないとしか彼は言えないわけだ。
だから、何の「目撃者」かわからないが、「あったことは事実だと思う」と
推測しかできない。
彼は左の人だけど、それでも見ていないものは見ていないとしか言えなかった
ということだ。
で、入城時、日本軍が市民のいる安全地帯を攻撃しなかったことはすでに証明
されている。

98 :無名草子さん:04/01/02 23:44
 最近、畠中秀夫氏が、じゅん刊「世界と日本」に『聞き書き 昭和
十二年十二月南京』と題して、南京に入城した著名人の聞き書きを書い
ている。

 その中で死去する少し前の石川達三氏とのインタビューは特に興味深い。
石川氏は前述の通り小説『生きている兵隊』で発禁処分を受け、執行猶
予付きながら、実刑を科せられているのである。畠中氏はその石川氏と
次のような問答をしている。

 「私が南京に入ったのは入城式から2週間後です」
 ―そのときどのような虐殺をご覧になられましたか?
 「大殺戮の痕跡は一ぺんも見ておりません」
 ―いわゆる「南京大虐殺」をどう思いますか?
 「何万の死体の処理は、とても2、3週間では終わらないと思います。
あの話は私は今でも信じておりません」(同書14ページ)。
 自著が発禁になり、実刑まで受けた石川氏の言葉だけに重みがある。
本多勝一氏は『南京への道』で、石川氏の『生きている兵隊』を引用して、
南京大虐殺の有力な立証の材料に使っているが、石川氏に言わせるなら、
迷惑千万な話だった訳だ。

99 :無名草子さん:04/01/02 23:45
>>95
念のために言っとくけど、彼の作品は「小説」。

100 :無名草子さん:04/01/02 23:48
日本軍人による物資取得の事実は、憲兵から少数の通報を
受けた。
しかし、住民の逃亡とともに資材もほとんど搬出されており、
家屋も空き家同様のものが多かった。
したがって組織的、集団的に掠奪したという事実は全く聞知しない
し、勿論司令部として、かかる不法行為を命令し、黙認し、許容
した事実は、全くない。
中国の戦場における掠奪、破壊は大部分が、退却する支那軍に続いて
闖入する窮民の常套手段である、ということを私は掠奪の被害者で
ある支那人から直接聞いている。
・・・南京で日本軍による計画的な強姦が行われたという事実は、
全くない。
少数の散発的な風紀犯はあったが、それらはすべて法に従って
処罰されたことを承知している。

中澤三夫参謀長
「再審「南京大虐殺」」竹本忠雄・大原康男

101 :無名草子さん:04/01/02 23:49
第九師団第三十六連隊長の脇坂次郎陸軍大佐は東京裁判に提出した
宣誓口供書で、ある主計中尉が道端に落ちていた中国の婦人靴片足を
持ち帰っただけで軍法会議にかけられたことを紹介している。


部隊として家具などを持ち出したことを聞いている。
これは集団宿舎の設備補充の用途にあてたとのことである。
この徴発の際にはそれぞれ損害を補償するか、管理人が逃亡して不在
のことが多く、これらの家には代償を支払うべき証明書を貼付しておいた。

三杯派遣軍参謀長・飯沼守少将の証言
「再審「南京大虐殺」」竹本忠雄・大原康男

102 :無名草子さん:04/01/02 23:49
自分は南京に着くまでの間(1937年11月5日から12月14日まで)に
約20件くらいの軍紀及び風紀犯を処罰した。
風紀犯の処罰について困難を感じたことは和姦なりや強姦なりや不分明
なることであった。
その理由は中国婦人のある者は日本兵に対して自ら進んで挑発的態度を
とることが珍しくなく、和合した結果を夫または他人に発見せらるると
婦人の態度は一変して大袈裟に強姦を主張したからである。
しかし自分は強姦と和姦とを問わず起訴せられたものはそれぞれ事実の軽重
により法に照らして処罰した。

速記録310号 第十軍法務部長・小川関次郎氏の証言
「再審「南京大虐殺」」竹本忠雄・大原康男

103 :無名草子さん:04/01/02 23:53
>「再審「南京大虐殺」」竹本忠雄・大原康男

竹本忠雄はフランス政府のエージェントだった人物だから要注意。
あとノストラダムス大予言の擁護者として狂信的な暴論を張っていた人物でもある。
こうした連中が「愛国者」のふりをして日本近現代史の重要な局面に土足で
入り込んで巧妙な歴史の修正を行なうので、おおいに警戒したほうがいいよ。

104 :無名草子さん:04/01/02 23:53
またID無しの板か

105 :無名草子さん:04/01/02 23:57
>>103
竹本氏の本を読むまでにすでにこの手ほ本は読んでおり、それを踏襲
して書かれていることを確認してますので、この件に関しては安心して
います。
なぜ彼の著書を引用するかというと、彼の本は、これまでの同様の著書
の切り口をすべてコンパクトにまとめており、大変読みやすくよくできた
本だと関心したからです。
で、ノストラダムスの話は興味深いですね。詳しく知りたいです。

106 :無名草子さん:04/01/03 00:00
>>103
ノストラダムスの解説本は、角川書店から10年あまり前に出たものです。
春樹がオカルトに傾倒して覚醒剤をやっていた当時で、まあ「電波の波長」が
合ったのでしょう。アマゾンで検索すれば出てくると思います。しかし
もはやブックオフなどでしか入手できないと思います。

107 :無名草子さん:04/01/03 00:02
>>106
ああ、あの頃ですか。
情報ありがとうございます。
ちょっと調べてみようかな。

108 :無名草子さん:04/01/03 00:09
石川達三は目撃しています

・・・また武装解除した捕虜を練兵場へあつめて機銃の一斉射撃で葬つた、しまひには弾丸を使ふのはもつたいないと
あつて、揚子江へ長い桟橋を作り、河中へ行くほど低くなるやうにしておいて、この上へ中国人を行列させ、先頭から
順々に日本刀で首を切つて河中へつきおとしたり逃げ口をふさがれた黒山のやうな捕虜が戸板や机へつかまつて川を流
れて行くのを下流で待ちかまへた駆逐艦が機銃のいつせい掃射で片ツぱしから殺害した
 戦争中の興奮から兵隊が無軌道の行動に逸脱するのはありがちのことではあるが、南京の場合はいくら何でも無茶だと
思つた、三重県からきた片山某といふ従軍僧は読経なんかそツちのけで殺人をしてあるいた、左手に数珠をかけ右手にシ
ヤベルを持つて民衆にとびこみ、にげまどふ武器なき支那兵をたゝき殺して歩いた、その数は廿名を下らない、彼の良心
はそのことで少しも痛まず部隊長や師団長のところで自慢話してゐた、支那へさへ行けば簡単に人も殺せるし女も勝手に
できるといふ考へが日本人全体の中に永年培はれてきたのではあるまいか
 ただしこれらの虐殺や暴行を松井司令官が知つてゐたかどうかは知らぬ『一般住民でも抵抗するものは容赦なく殺してよ
ろしい』といふ命令が首脳部からきたといふ話をきいたことがあるがそれが師団長からきたものか部隊長からきたものかそ
れも知らなかつた。
 何れにせよ南京の大量殺害といふのは実にむごたらしいものだつた、私たちの同胞によつてこのことが行はれたことをよく反省し、
その根絶のためにこんどの裁判を意義あらしめたいと思ふ。
(「読売新聞」昭和21年5月9日付 2面中上 リード4段、見出し3段)

109 :無名草子さん:04/01/03 00:11
>>108
だから、思考停止しないように。
石川の小説を真に受けて、見ていないという証言は信じないんですか?

110 :無名草子さん:04/01/03 00:14
というか、松井大将も知らず、政府も知らず、軍の捕虜に関する取り決め
違反でもあるような命令を誰が出すというんでしょうか。
石川が入城してるのは二週間後だし。

111 :無名草子さん:04/01/03 00:14
阿羅健一氏の本の石川達三インタビューの前の部分を引用すると・・

「「南京事件」日本人48人の証言」より
 昭和五十九年十月、インタビューを申込んだが、会うことはできなかった。理由は後でわかったが、それから三ヵ月後の昭和六十年一月に石川氏は肺炎のため
亡くなった。インタビューを申込んだ時は胃潰瘍が良くなりつつあったが、会えるような状況ではなかったのである。しかし、そのおり、次のような返事をいた
だいた。

この後に「見ていない」との証言が続く。
「会えるような状況ではなかった」ほど健康を害した状態での返事(電話か?)で、彼の意を正確
に反映できたかどうかは疑問である。



112 :無名草子さん:04/01/03 00:16
陸軍歩兵学校が昭和8年に刊行した「対支那軍戦闘法ノ研究」の中に
「捕虜ノ処置」という項目があります。
その項目の教授範例にこうあります。

「捕虜ハ他列国ニ対スル如く必ズシモ之ヲ後送監禁シテ、戦局ヲ待ツヲ要セズ、
特別ノ場合ノ外之ヲ現地又ハ他ノ地方ニ移シ、釈放シテ可ナリ。」

昭和12年10月の第十三師団司令部の「戦闘ニ関スル教示」は、投降兵
は射殺しないで武装解除後に適宜追放せよと訓令していた。

 洞氏にかぎらず虐殺派はおしなべてこの中島中将の「捕虜はせぬ
方針」というのを一般に誤解して、南京の捕虜はかたっぱしから殺
害したかのごとく主張するが、決してそうではない。これについて
大西一上海派遣軍参謀はこう述べている。
 「それは銃器を取り上げ釈放せい、ということです。中国兵は全
国各地から集っていますが、自分の国ですから歩いて帰れます」
(「正論」61・5阿羅健一著「日本人の見た南京陥落」)。
 さらに大西参謀は軍命令、師団命令で、捕虜殺害命令など絶対に
出ていないと断言している。

これは歩兵学校の「捕虜ノ処置」や第十三師団の「戦闘ニ関スル教示」に合致
する。

113 :無名草子さん:04/01/03 00:17
>>108は読売新聞のインタビューに答えたもの。小説ではない。

114 :無名草子さん:04/01/03 00:18
>>111
証言がおかしくなるほどの病状なら、電話取材も受けられないのでは?
また、証言が虐殺派に不利になるような形でおかしくなるのはなぜです?
また、彼の証言が、客観証拠に一致するのはなぜでしょうか?

115 :無名草子さん:04/01/03 00:19
>>113
>>108は、よく読むと、捕虜の処刑のこと、掃討戦のことしか言っていない
ようで、それは誰も否定してないと思いますが?

116 :無名草子さん:04/01/03 00:21
>>113
また、抵抗するものは住民でも何とか、という話の根拠何です?
それは銃をもって攻撃してくるものは便衣姿でも便衣兵だから、という
ことでは?

117 :無名草子さん:04/01/03 00:23
>>114
石川達三は読売新聞の取材に対し、はっきりと虐殺の目撃証言をしています。

阿羅健一氏の取材には応じられる状態ではなかった。
これは読売新聞の方を採用すべきでしょう。


118 :無名草子さん:04/01/03 00:23
そもそも、石川の入城した二週間後には治安は回復されており、陥落3〜4日後
にはすでに露店が出るほど平穏になっている。
あとは、敗残兵の掃討、そして降伏の意志を示さないものの処刑だけがあった
はず。

119 :無名草子さん:04/01/03 00:26
>>117
彼は、「虐殺」など目撃してはおらず、彼の証言を信じるなら、
処刑のことをそう呼んでいるに過ぎません。
そして、取材に応じられないんじゃなくて、取材に応じた上で(電話で)、
「見ていない」と証言しているわけです。
つまり、市民を組織的に虐殺するような、戦後言われだしたようなものは
見ておらず、処刑を目撃した。
そして、そのような処刑を「非合法」=「虐殺」と捉える人も中にいるには
います。


120 :無名草子さん:04/01/03 00:28
>>117
たとえば、讀売のものを市民を含めた「虐殺」のことだと仮定しましょう。
それなら、どちらを採用するかは、客観証拠と矛盾のないものの方を採用
すべきでしょう。
現実には、119で言ったように電話取材と讀売の方のものとでは必ずしも
矛盾しないので、どちらかを採用する必要はないですが。

121 :無名草子さん:04/01/03 00:28
これからは、「南京大処刑」と呼ばないとダメだね。

122 :無名草子さん:04/01/03 00:30
>>121
処刑を含めて死者の数も14000〜30000人ほどだと言われてるから(埋葬数)
小処刑、でしょう。

123 :無名草子さん:04/01/03 00:32
>>122
大処刑ですね。

124 :無名草子さん:04/01/03 00:32
中国人死者は以下の理由によるもの

1.陥落前、支那の官憲は、掠奪に走った暴徒を見せしめに銃殺していた。
2.陥落前、支那軍は、下関の南京駅のプラットホームに、二千人の負傷者
 と、多くの戦死兵を放置していた。
3.陥落前、城門の攻防戦で、多くの支那兵が戦死していた。
 例えば、南門の前は「死屍累々」であった。
4.陥落直前、支那軍督戦隊は、例えば「李宗仁回憶録」が記す北門で、
 逃げようとする支那兵を射殺して「多数の死傷者」を出していた。
5.陥落直前、支那兵は城壁から、脱出しようとして墜落死したり、北門に
 殺到し、踏みつけあって圧死していた。
6.陥落直前、城内北部の野戦病院(外交部)に行こうとしながら、多くの
 支那兵が、外交部の前でこときれていた。
7.陥落後、反抗的な支那兵は日本軍より処刑されていた。

125 :無名草子さん:04/01/03 00:33
>>123
あなたのいう「大」というのは、どのような基準なんですか?

126 :無名草子さん:04/01/03 00:33
長いですが、記事の全文を引用しましょう。
「読売新聞」昭和21年5月9日
(見出し) 裁かれる残虐『南京事件』
(リード)  東京裁判の起訴状二項「殺人の罪」において国際検事団は南京事件をとりあげ日本軍の残虐行為を突いてゐる、
掠奪、暴行、■殺、■殺―昭和十二年十二月十七日、松井石根司令官が入城したとき、なんとこの首都の血なまぐさかつたこ
とよ、このころ南京攻略戦に従軍した作家石川達三氏はこのむごたらしい有様を見て”日本人はもつと反省しなければならぬ」
ことを痛感しそのありのままを筆にした、昭和十三年三月号の中央公論に掲載された小説『生きている兵隊』だ

 しかしこのため中央公論は発禁となり石川氏は安寧秩序紊乱で禁錮四ケ月執行猶予三年の刑をうけた いま国際裁判公判をま
へに”南京事件”の持つ意味は大きく軍国主義教育にぬりかためられてゐた日本人への大きな反省がもとめられねばならぬ、石
川氏に当時の思ひ出を語つてもらふ

(中見出し) 河中へ死の行進 首を切つては突落とす
(本文)--- 兵は彼女の下着をも引き裂いた すると突然彼らの目のまへに白い女のあらはな全身がさらされた。みごとに肉づい
た、胸の両側に丸い乳房がぴんと張つてゐた …近藤一等兵は腰の短剣を抜いて裸の女の上にのつそりまたがつた 
…彼は物もいはずに右手の短剣を力かぎりに女の乳房の下に突き立てた―

 "生きてゐる兵隊"の一節だ、かうして女をはづかしめ、殺害し、民家のものを掠奪し、等々の暴行はいたるところで行はれた、入城
式におくれて正月私が南京へ着いたとき街上は屍累々大変なものだつた、大きな建物へ一般の中国人数千をおしこめて床へ手榴弾をおき
油を流して火をつけ焦熱地獄の中で悶死させた。

127 :無名草子さん:04/01/03 00:34
 また武装解除した捕虜を練兵場へあつめて機銃の一斉射撃で葬つた、しまひには弾丸を使ふのはもつたいないとあつて、揚子江へ長い
桟橋を作り、河中へ行くほど低くなるやうにしておいて、この上へ中国人を行列させ、先頭から順々に日本刀で首を切つて河中へつきお
としたり逃げ口をふさがれた黒山のやうな捕虜が戸板や机へつかまつて川を流れて行くのを下流で待ちかまへた駆逐艦が機銃のいつせい
掃射で片ツぱしから殺害した。
 戦争中の興奮から兵隊が無軌道の行動に逸脱するのはありがちのことではあるが、南京の場合はいくら何でも無茶だと思つた、三重県
からきた片山某といふ従軍僧は読経なんかそツちのけで殺人をしてあるいた、左手に数珠をかけ右手にシヤベルを持つて民衆にとびこみ、
にげまどふ武器なき支那兵をたゝき殺して歩いた、その数は廿名を下らない、彼の良心はそのことで少しも痛まず部隊長や師団長のところ
で自慢話してゐた、支那へさへ行けば簡単に人も殺せるし女も勝手にできるといふ考へが日本人全体の中に永年培はれてきたのではあるまいか
 ただしこれらの虐殺や暴行を松井司令官が知つてゐたかどうかは知らぬ『一般住民でも抵抗するものは容赦なく殺してよろしい』といふ命令
が首脳部からきたといふ話をきいたことがあるがそれが師団長からきたものか部隊長からきたものかそれも知らなかつた
 何れにせよ南京の大量殺害といふのは実にむごたらしいものだつた、私たちの同胞によつてこのことが行はれたことをよく反省し、その根絶の
ためにこんどの裁判を意義あらしめたいと思ふ。

128 :無名草子さん:04/01/03 00:35
「南京事件」該当地域における「戦争被災者」
および「兵士の暴行」による 主張者別の「市民」
犠牲者死者数
1.安全区委員会:49/徐淑希編「南京安全区の記録」
2.スマイス:15000/南京地区における戦争被害
3.ベイツ:42000/ティンパーリ編「戦争とは何か」
4.エドガー・スノー:42000/アジアの戦争
5.スメドレー:200000/支那の歌声
6.南京検察処:340000/敵罪行調査報告
7.東京裁判:200000/極東国際軍事裁判速記録
8.台湾国防部史政局:100000/抗日戦史
9.ブリタニカ大辞典:42000/The New Encyclopadia Britannica
10.中国共産党:300000/対日戦争史録
11.アイリス・チャン:300000/ザ・レイプ・オブ・南京


129 :無名草子さん:04/01/03 00:35
>>125
あなたのいう「小」というのは、どのような基準なんですか?


130 :無名草子さん:04/01/03 00:36
>>127
だから思考停止しないでくださいよ。
何が言いたいんです?
掃討戦において、逃げる敵兵を掃射することが違法だとでも?
処刑は非合法だ、とでも?

131 :無名草子さん:04/01/03 00:38
>>127
だいたい、掃討戦に逃げる兵士を掃射したとかいう話は、陥落戦の
時の状況で、二週間後に入城した彼が見れるわけもないじゃないですか。
つまり伝聞でしょう。
で、その伝聞は事実です。

132 :無名草子さん:04/01/03 00:39
>>129
中国人が喧伝する数を大だとして、それとの比較ですが?
あなたは?

133 :無名草子さん:04/01/03 00:40
>>132
中国人が処刑だと喧伝してるんですか?

134 :無名草子さん:04/01/03 00:41
スレが伸びてると思ったら南京かよw
日本史板やニュース議論板で腐るほど討論してるから
そこでやれやキチガイどもめ

135 :無名草子さん:04/01/03 00:42
「逃げる敵兵」じゃないでしょう。
武装解除され、川に落とされた捕虜です。
敗残兵狩りは相当いい加減だから、本当に兵士だったかも疑問です。

136 :無名草子さん:04/01/03 00:42
揚子江のところにある死体の山の写真があって、これを中国政府は
市民を虐殺したものだ、と喧伝しているけど、これは陥落直後(14日
だったかな?)まだ周辺では激戦が続いていて、場所によっては日本が
壊滅しかけている部隊もあった。
その中の戦闘の一つで、揚子江に逃げる中国兵を掃射したものだ、と
言われている。

137 :無名草子さん:04/01/03 00:44
>>135
はあ?
逃げる敵兵が武器を棄て川に逃げ込んだら掃討戦にならないとでも思って
るんですか?
また、便衣兵の区別をどうやっていたかご存知ですか?
また、武器を大量に隠しており、捕まった中国兵が工作活動などをして
日本軍の仕業にみせかけていた、というようなことも欧米のマスコミ人
の前で白状し、新聞に載ってますが?

138 :無名草子さん:04/01/03 00:44


--------------------------------南京は終了-----------------------------

139 :無名草子さん:04/01/03 00:44
南京における日本兵の行動は凶暴であり,かつベイツ博士が証言したように,残虐はほとんど三週間にわたって惨烈なものであり,
合計6週間に渡って、続いて深刻であったことは疑いない。事態に顕著な改善が見られたのは、ようやく2月6日あるいは7日す
ぎてからである。
「共同研究 パル判決書」東京裁判研究会(講談社学術文庫)P600



140 :無名草子さん:04/01/03 00:46
質問一。
大虐殺があったと喧伝する人たちは、南京城攻略時、
兵士市民を問わず無差別に虐殺した、としていますが
、これを事実だと信じますか?
信じているとして、どうして南京の難民保護を目的に
活動していた外国人の組織する安全区委員会は、
攻略時に難民が非難する安全地帯を攻撃しなかった、
と感謝の書簡を送っているんでしょう?
南京城内はもとより、南京近辺の住民も、安全区に
非難していて、その他の地帯には兵士しかいなかった
わけなんですが…。

141 :無名草子さん:04/01/03 00:46
シオニストがスレ落としにかかってるような気がするんですが、、。
南京の書き込みどうみてもどっかのコピペだし、、。
ふれてはいけないことに触れてるのか、、がくがくぶるぶる。

142 :無名草子さん:04/01/03 00:46
キチガイども、一般書籍板から出て行け
http://news2.2ch.net/news2/

143 :無名草子さん:04/01/03 00:47
>>139
ベイツが国民党顧問だったことはご存知ですか?
そして、彼が非合法云々といった文章を書くのは匿名の文章のとき
だけで、安全委員会の一員として文章を書く場合は事実を書いている、
ということはご存知ですか?

144 :無名草子さん:04/01/03 00:48
>>143
知らねぇよアホ
とっとと失せろヴォケが

145 :無名草子さん:04/01/03 00:51
ベイツとはこんな人。
「東京日々新聞」の若梅、村上両特派員は、占領3日目の15日、大学の舎
宅にベイツ教授を訪れてインタビューをおこなっている。その時教授は、
上機嫌で2人を迎え、「秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れ
たのは何よりです」といって両記者に握手しているのである。
(同紙12・26)。

146 :無名草子さん:04/01/03 00:57
ちなみに、ティンパーリは国民党中央宣伝部顧問。
スマイス教授も国民党から資金を受けていた。
ラーベは国民党と取引をする武器商人。

147 :無名草子さん:04/01/03 01:00
南京「大虐殺」はサイモン・ウィーゼンタール・センターが日本を
悪玉に仕立てて金をせびるために採択した最近の恐喝ネタだろ。

……わかりやすいねえ。w

148 :無名草子さん:04/01/03 01:04
>>147
それは知りませんが、中国の要人が、歴史問題でまだまだ日本から
金を引っ張れる、というような発言をしたということは知ってます。

149 :無名草子さん:04/01/03 01:20
南京大虐殺否定論もガス室否定論も同レベルの基地外

せめてガス室スレに戻れ

150 :無名草子さん:04/01/03 01:28
在日 【 必 死 だ な w 】

151 :無名草子さん:04/01/03 02:09
実際、ガス室も南京も否定派の論調って恐ろしく似てるんだよね。
不利な証拠は「宣伝」、有利な証拠は「真実」。
針小棒大で無理くり全体をひっくり返そうとする。
下手すると証拠隠しや改竄すらする。

歴史修正主義者としてひとくくりにされちゃうワケであるなぁ、って感じ。

人数を大よそ適当な程に見積もる事と「無かった」の間に無限の溝があるって簡単なコトが理解出来ないってのは人間として恥ずかしいですな。

152 :無名草子さん:04/01/03 02:46
日本の共産党も党員やその周辺の人間をかなり大量に虐殺したらしいね。
それもないことにしたいのかにゃ?

153 :無名草子さん:04/01/03 07:52
>>151
南京大虐殺は田中上奏文と同レベル、ユダヤ人大量虐殺関連になぞらえれば
シオンの議定書と同じですが何か?

南京大虐殺があったと主張するなら、偽資料はさっさと否定しましょ♪
虐殺派のみなさん(プゲラ


154 :無名草子さん:04/01/03 07:58
南京否定派もホロコースト否定派も、どっちも否定派ってだけだろ。
それなら神話を否定するのも、邪馬台国を否定するのも、全部否定派、まぼろし派だし
ユダヤ人陰謀説だって、シオンの議定書否定派だって田中上奏文だって否定するやつ
は全員否定派だ。

こーゆーのは、虐殺派がただ南京大虐殺否定論者とホロコースト否定論者とをなぞらえ
たいという願望が生み出したイヤガラセでしょ。

議論で勝てないからって悪質なんだよ、おまいら。
資料をでっち上げるだけじゃもの足りなくて、今度は論者を悪魔化までするのかよ。

最低のクズ集団だな。

155 :無名草子さん:04/01/03 08:22
ウィーゼンソールにご注進する馬鹿が2chにもいるから気をつけろよ。

156 :無名草子さん:04/01/03 14:10
スレが伸びていると思ったら自国礼賛厨のコピペ連貼りかよw

157 :無名草子さん:04/01/03 17:02
ウィーゼンソールって怖い?

158 :無名草子さん:04/01/03 18:38
世界史板でもそろそろ相手にしてもらえなくなったからってな。
板違いで迷惑かけることも気にしないバカだからな。

その妄想含め、どうしようもねえな、お前の人生。

159 :無名草子さん:04/01/03 18:54
http://book.2ch.net/test/read.cgi/books/1070248236/l50

マルチで宣伝。正体バレる都合が悪いことが書かれたスレはアゲませんか(ぷ

160 :151:04/01/03 19:28
>>154
>それなら神話を否定するのも

「論調が恐ろしく似てる」からひとくくりにされる、って書いたんだけどね。
色々言ってても結局浅くてブザマに愛国心とかプライドに訴えてるだけだし。
ウチのゴ先祖がそんな悪いコトするハズ無いザマス、何故ならワタクシどもはリッパな国のコクミンザマス、ってマンガじゃないんだからさ(w

んじゃ何?悪いコトした子や親を愛情を持って叱ったり、
悪いと認めた上で愛したり誇りを持ったり出来ないの?って感じ。

本音でくっちゃべるのが悪いとは言わないけどさ、その本音がバカっぽいのは悪いと言いたいね。

161 :無名草子さん:04/01/03 19:31
>>154
>こーゆーのは、虐殺派がただ南京大虐殺否定論者と
ホロコースト否定論者とをなぞらえ

一応、ホロコースト否定論者から言って置くが
知識が全くないぞ。
知ったかぶりをすると恥をかくから気をつけた方が良いな。

もともと、ホロコースト否定論者は欧米中心で
出て来てて、半世紀以上前(終戦時)から居る。
日本の南京否定は最近。
まあ、あれだな。
ソ連が崩壊してから公開された資料で、虐殺が無かったって
判ったから大慌てで真似し始めたんじゃないのか?


162 :無名草子さん:04/01/03 19:32
>>161
>ソ連が崩壊してから公開された資料で、虐殺が無かったって

ソ連が崩壊してから公開された資料で、ドイツの虐殺が無かったって


163 :無名草子さん:04/01/03 19:47
南京は置いといて、
マルコポーロの時は創価でも叩かれる言論弾圧だったわけだが。
ユダヤすげぇな。

164 :無名草子さん:04/01/03 23:40
戦後日本のホロコースト否定・反ユダヤ主義

1972:日本赤軍の岡本公三、奥平剛士、安田安之らがイスラエルの
   テルアビブ空港で銃を乱射。24人を射殺、80人以上に重軽傷を負わせる。

1994年:木村愛ニ、『噂の真相』の九月号に『映画「シンドラーのリスト」
    が訴えた“ホロコースト神話”への大疑惑』を発表=公共の雑誌に載った初のガス室否定記事。

1994年:『週刊金曜日』編集長の本多勝一と木村愛二意気投合。本多が中心になり同誌に木村の論文連載を企画

1995年: マルコポーロ2月号、『ナチ「ガス室」はなかった』掲載、ユダヤ人団体の圧力で廃刊

1995年:事件の国際的反発に驚き、本多勝一ら『週刊金曜日』の関係者、連載計画を中止。
    煙幕の為に木村愛二批判キャンペーンを開始。逆に木村に名誉毀損で告訴される

2002年:辻本清美が創設した「ピースボート」関係者、危険人物としてイスラエルで拘束。入国を拒否される。

165 :無名草子さん:04/01/04 00:06
創価学会インタナショナル(第4インターかよw)は90年代なかばに
サイモンウィーゼンタールセンターと提携して、日本各地でシオニストの
プロパガンダ活動の下請けをしています。アンネの日記展とかね。
シオニストの尻舐めても池田大作のノーベル賞受賞なんてありえないのにね。

166 :無名草子さん:04/01/04 01:05
>>160
単に、倒錯心理に突き動かされて「日本はこんな悪いことをした!」と
騒ぎ立てている人間を諭してるだけ。

167 :無名草子さん:04/01/04 01:21
>>139
当時はベイツが「客観的立場の欧米人」と考えられており、近年判明した
ような、国民党顧問だったということをパル判事は知らなかったから、
それを信用したというのもある程度仕方がないと思います。
しかしこの同じページに、中国人証言者の信憑性の無さについても、
以下のように皮肉っています。

証人によれば、これは米国大使館の附近で、朝白日のもとに行われたのである。
十六日にかれは、日本軍に捕らわれたいく多の壮健な若者が銃剣で殺されて
いたのをふたたび目撃した。
その同じ日の午後、かれは太平路に連れていかれ、三人の日本兵が二軒の建物
に放火するのを見た。
かれはこの日本兵の名前をもあげることができたのである。
この証人は本官の目にはいささか変わった証人に見える。
日本人はかれを各所に連れてその種々の悪業を見せながらも、かれを傷つけず
に赦すほどかれを特別に好んでいたようである。
この証人は、本官がすでに述べたように、日本軍が南京にはいったその二日目に
難民地区から39名の者を連れ出したといっている。
証人は、これが起こった日付はたしかに12月14日であるとしている。
この一団の人のうち、その日に37名の者が殺された。
許伝音博士でさえ、かようなことが12月14日に起こったとはいえなかったので
ある。
彼は難民収容所に関する12月14日の日本兵の行動に関して述べているのであるが、
その日に収容所から何者も連れ出されたとはいっていない。


168 :無名草子さん:04/01/04 01:29
158 名前:無名草子さん :04/01/03 18:38
世界史板でもそろそろ相手にしてもらえなくなったからってな。
板違いで迷惑かけることも気にしないバカだからな。

その妄想含め、どうしようもねえな、お前の人生。

159 名前:無名草子さん :04/01/03 18:54
http://book.2ch.net/test/read.cgi/books/1070248236/l50
マルチで宣伝。正体バレる都合が悪いことが書かれたスレはアゲませんか(ぷ

と、いう風に書かれてレス流しのコピペ宣伝上げに必死です。
手口は、どこの板いっても変わりませんw

169 :無名草子さん:04/01/04 07:02
>168
> 手口は、どこの板いっても変わりませんw ←これが哀れを誘うな

170 :無名草子さん:04/01/04 07:57
シオニストのプロパガンダを論じようとすると
南京虫が湧いて出る不思議……。

アウシュビッツってゴキブリの巣だったのか?(苦笑

171 :無名草子さん:04/01/04 08:32
「シオニスト」ねえ(w

「ネオナチ」と言い返されるのがオチだろう。
ま、実際には「ネオナチが集めたネタを頼りにする幼児的な人たち」なのだろうが。

172 ::04/01/04 10:16
シャロン発見。きょうはパレスチナ人を何人ころすの?(苦笑

173 :無名草子さん:04/01/04 10:59
つまりはこのスレは、ホロコーストで人を釣って、ほんとは「南京」について語るスレなのですか?
ところで、扇動人の目的はどっち?
@南京虐殺否定派はホロコースト否定派と同じようにはなっから馬鹿げてる。
と言いたいのか、
A誰もが自明として疑わないホロコーストですらかくも巧みでおおがかりな情報操作がされてる。いわんや南京も、、。
と言いたいのか、


174 :無名草子さん:04/01/04 13:25
>>172
んなことばっか囀ってるから世界史板から蹴り出されるのだ(w

175 :無名草子さん:04/01/04 13:32
こなさんみんばんは。
じつはわたしなんきんにいったのです。
だからかんたまがとてもきゆいのです。

176 :無名草子さん:04/01/04 15:34
>>167
ベイツが「国民党顧問」だったという話のネタ元は東中野でしょう。
-------------
そのティンパーリと反日的な点で同志関係にあったベイツも、中華民国政府顧問であったことも次の史料から明らかになった。
それを証明したのが、イエール大学で私が発見した小さな新聞記事の切り抜きであった。写真説明は次のようになっている。
「中国の首都南京の城門を攻める日本軍の砲撃がこだまするなか、それに怯むことなく、オハイオ州・ハイアラム出身の南京
大学歴史学教授にして、中華民国政府顧問のマイナー・サール・ベイツ博士(写真)は、城壁で囲まれた南京城内の自らの持
ち場を離れることを拒否した。アメリカ大使館は、ベイツ博士が最後の瞬間に逃げることを許可し、彼に、城壁をよじ登って
降りるさいの縄ばしごを提供した」
私たちが新聞の切り抜きをする際、しばしば購読紙名をいちいち書かないのと同じように、この切り抜きにも、何月何日の何
新聞か、何も書かれていない。ただ、「日本軍が南京の城門を攻めるなか」とあることから、昭和十二年の十二月十三日の城
門陥落前後の記事と判断される。
 この紹介記事の中に、ことさら虚偽の履歴が書き込まれるべき強い理由も見当たらないから、ベイツが「中華民国顧問」で
あったことを疑う理由もないであろう。
(「諸君」2002.4 P154)
---------
名前もわからない新聞の切り抜きを根拠とするというのは問題です。
大体、東中野論文では「国民党顧問」ではなく「中華民国顧問」です。誰かがネットに引用するとき改竄したのでしょうか。
ベイツは歴史学者だから博物館の「adviser」的な顧問だったとしても何の不思議もないかもね。
資料がないので、これ以上詳しいことはわかりませんが。

177 :無名草子さん:04/01/04 15:51
>>146
ラーベが武器商人だと主張するのは、資料改竄で有名な田中正明ぐらいでしょう。
彼の努めていだジーメンス社は、確かに武器を扱ってはいたが、主な製品は電気製品である。
実際、ラーベの売っていた物は発電機や電話などである。彼が中国に武器を売っていたとする資料は存在しない。

1934年以降、ドイツからの武器輸出は国策会社であるHAPRO社(Handelsgesellschaft fur industrielle Produkte)
が行っていた。
1936年にはHAPRO社と国民政府との間でバーター取引の契約が結ばれたので、
ジーメンス社のはいる余地はなかった。
ジーメンス社がドイツ政府の意向に逆らって契約するなどありえない。

178 :無名草子さん:04/01/04 15:54
>>173

知らんが、ホロコースト否定論者に知識がないから
反論出来なくて、南京で話題を逸らそうとしている様にも
思える。

詳しい資料はここで読めるぞ。

歴史的修正主義を考えるための文献資料
日本におけるホロコースト否定派の最大の拠点 膨大な資料がある。
ttp://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/

加藤一郎教授の歴史的修正主義関係のページ
「ドイツははたして侵略国家であったのか?」等の修正主義の論文が読める。
ttp://www.bunkyo.ac.jp/~natasha/eupora/revisionism.htm

マルコポーロ廃刊の原因となった西岡昌紀氏の「ナチ「ガス室」は無かった」のページ
ttp://www.nsjap.com/marco/


179 :176:04/01/04 15:57
正確に引用します「中華民国顧問」→「中華民国政府顧問」

180 :無名草子さん:04/01/04 16:01
>>173
上の方のレスで
「イスラエルの横暴は旧日本兵の思考パターンに似ている」
というのがあって、
直後に「日本兵はすばらしい」とする、狂ったような大量のコピペが投下される。
それから南京スレになったようだ

181 :無名草子さん:04/01/04 16:19
小林よしのりは、本当は、ガス室を信じていないと思う。

182 :無名草子さん:04/01/04 16:30
>>157
このサイトをお勧めする。シモン・ヴィーゼンタールに関する興味深いサイト。
     ↓
http://www.jca.apc.org/~altmedka/simon.html

183 :無名草子さん:04/01/04 16:33
「ドイツがユダヤ人の体から石鹸を作った」という話がウソだった事を
知っているか?
ここにその詳細が書かれてあるので、クリックせよ。
     ↓
http://www.jca.apc.org/~altmedka/simon-3.html



184 :無名草子さん:04/01/04 16:47
諸君は、連合軍が、戦後の「戦犯裁判」の陰で、非常にしばしば
ドイツ人被疑者に拷問を加えて「自白」を得ていた事を知っているか?
ここにその詳細があるので、ダウンロードを勧める。
     ↓
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-13.html

連合軍は悪魔だ。

185 :無名草子さん:04/01/04 17:12
南京大虐殺が根も葉もないデッチ上げだということは、
歴史学者である田中正明さんが完全に証明していますよ。
もはや議論の余地はないんですけどね(苦笑)

186 :無名草子さん:04/01/04 17:18
>>182-184
は木村愛二のサイトですね。
彼は数年前にガス室論争に敗れています。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwjh7128/genron/holocaust/holocaust.htm

彼はドイツ語の初歩的な文法すらよくわかっていません。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwjh7128/genron/holocaust/stove156.htm

187 :無名草子さん:04/01/04 17:33
田中正明が松井石根大将「陣中日記」を肯定派に不利になるように改竄したことは
同じ否定派の板倉由明が完全に証明していますよ。
もはや議論の余地はないんですけどね(苦笑)

>最後まで目を通した私の結論から言おう。発見された「改竄」は、脱落だけならまだしも
>「書き加え」まであり、しかもそれらはすべて「南京事件否定」の方向で行われている。
>これは明らかに編者・田中氏の意図的行為であると断ぜざるを得ない。
>板倉由明「歴史と人物」(昭和60年冬季号)

188 :無名草子さん:04/01/04 17:46
>>187

どうでも良いが、反論出来ないからと言って
論点をずらすのは感心できないな。


189 :無名草子さん:04/01/04 17:47

ここはガス室のスレだ。
それを忘れるなよ。


190 :無名草子さん:04/01/04 17:54
>>188
>>185は煽りレスと思われ。
>>187はそれに対する皮肉レスじゃないの?

191 :無名草子さん:04/01/04 17:55
南京もガス室も検証しようがないが、
はっきりした事実がある。
マルコポーロ廃刊はユダヤの言論弾圧である。


192 :無名草子さん:04/01/04 18:00
>>191
その通り。特に、中央官庁が西岡の記者会見を中止させようとして
圧力をかけた事は、職権乱用その物だ。

193 :無名草子さん:04/01/04 18:03
そう言えば、マルコポーロ廃刊事件からもうすぐ9周年ですね。
あまり知られていないが、神奈川大学の常石敬一教授は、
ホロコースト・リヴィジョニズムを明白に支持していた。
マスコミ板の「マルコポーロ廃刊問題」って言うスレまだ有るかな。

194 :無名草子さん:04/01/04 18:04
>>186
山崎カヲルは、日本大使館を占拠したペルーの極左テロリストの
シンパですよね?

195 :無名草子さん:04/01/04 18:06
連合軍は、戦後の「戦犯裁判」の陰で非常にしばしば、
ドイツ人被疑者に拷問を加えて「自白」を得ていた。
ここにその詳細があるので、クリックしてお読み下さい。
     ↓
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-13.html

196 :無名草子さん:04/01/04 18:17
>>194 こういう事らしいよ。↓ シンパとまでは行かないみたい。もっとも、ガス室には関係ないけど(今度はMRTAスレにするなよ)

ペルーのフジモリ政権は、決して民主的な政治を行なっているわけではありません。これまでペルーで数多くのゲリラや民衆闘争を生み出し
てきた原因である社会・経済システムを変革することなく、軍部と手を結んで、強権政治で叛乱を抑圧してきたのが実状です。ペルーの民衆
のほとんどが置かれている貧困や抑圧は、まったく解決されていません。麻薬業者との癒着に象徴されるような、政権の腐敗もあります。さ
らに、逮捕・投獄されているゲリラやゲリラ容疑者への公然たる拷問、劣悪ということばでも描写できないような牢獄の悲惨な現状は、人権
団体によって厳しく告発されています。
私はペルーを専門にしているわけではありません。それでも、ペルーでの民衆の生活と闘争について、たえず関心を払ってきました。マスメ
ディアが流している膨大な管理ずみ情報に対する、ささやかな対抗情報(Counter Information)の試みとして、このページを作ります。
 付言しておくと、私はメキシコのサパティスタ民族解放軍(EZLN)については、その主張を支持し、彼らの行動に基本的に賛成ですが、
MRTAに関して同じことをいうつもりはありません。しかし、彼らをきまり文句で片づけてはならないと思っています。
 ここではとりあえず、MRTA側の声明その他の文書、ラテンアメリカにおける反響、それにMRTAがどのような組織で、なにを求めて戦って
いるのか、といった点に関して、入手できるかぎりの情報を提供することにします。
http://clinamen.ff.tku.ac.jp/MRTA/MRTA.html

197 :無名草子さん:04/01/04 18:37
罪の無い人を人質にとったMRTAを弁護する大学教授ってなに?

198 :無名草子さん:04/01/04 18:39
ところで、高橋氏も、アウシュヴィッツでガス室で殺された死体を
確認した記録が無い事は認めていますよね?
その「対抗言論」のHPの高橋さんです。
彼ですら、アウシュヴィッツでガス室殺人が行われた事の証拠は
提示できなかった訳です。
この事をどう考えますか?

199 :無名草子さん:04/01/04 23:34
チベットではガス室は使われてないものの、130万人犠牲者は出てるぞ。
中国人はホロコーストのやり方も独特。
まず青年はほとんど殺されてるか、国外逃亡でいなくなってるから、
残るは女性なんだけど、漢人の男とチベット人女性の結婚は奨励。半ば強制的。
しかしチベット人男性が漢人女性を娶る、結婚するのは法律で禁止。
漢人は男系を重んじるから先祖は漢人と主張できるわけ。
現地女性が路上で、収容所で強姦されまくってるんだけどそれも自由。処罰されない。
チベット人同士結婚しても治療と偽って断種させられたり、医学的な無知につけこみ、
知らずに不妊手術を施されてる例も多い。
こうする事でチベット民族の血をすべて根絶やしにでき、最終的に
“ゲルマン民族=中国人”が誕生するというわけ。
現地の女に「子種を植えつける」という事で民族浄化を達成するって言うんだから
なんか原始的というか中国お得意の人海戦術を見ているようだ。

こうしてる今現在もチベット人女性は毎日混血児を産まされていってる。

200 :無名草子さん:04/01/05 00:37
↑ホントかよ。うそくせ

てか、何でチベットスレにしようとする?

201 :無名草子さん:04/01/05 02:33
>>176
情報ソースはその通りです。
「中華民国顧問」が「国民党顧問」となったのは、私の勘違いかもしれません。
ところで、この新聞の名前がわからないことは、情報ソースとしての価値が下がる
のはその通りですが、だからといってこれが嘘だということにもならないでしょう。
ベイツがそのような立場だからこそ書かれており、事実でないのにそのような
肩書きを付ける理由など見当たりません。
敵性国家の報道ならばなおさらでしょう。

>>177
ラーベがジーメンス社の人間であったことは認めるわけですね?
それはそうでしょうね。
彼の家の庭は通称「ジーメンス・キャンプ」と呼ばれたわけですし。
で、ジーメンスははっきりとした軍需産業であり、ラーベはジーメンスの利益
代表者でした。
ドイツは国策会社として国民党に武器を輸出していましたが、日本から輸出を
やめるよう再三要求がありました。
そしてヒトラーは悩んだ末、中国における巨大な軍需産業の利益よりも、
安全保障上ソ連を牽制する必要から日本との関係強化を選らんで、蒋介石政権
への武器輸出を控えたんですよ。
ラーベはこうした本国の動きに反発して、安全委員会の一員としての記録と
矛盾するような話や、都合の悪い点は削除したような文章を送っていたんです。
また、国民党との繋がりから、彼は敗残将校たちをかくまっていたんでしょう。


202 :無名草子さん:04/01/05 02:41
ちなみにラーベは、報告相手によって非合法殺人の犠牲者数がころころ変わります。
ドイツ大使館(上海総領事宛手紙)では数千人。
南京イギリス大使館には数百人。
日本当局(南京大使館)&安全委員会の公式記録では49人。
ヒトラーへの上申書では五万から六万。

203 :無名草子さん:04/01/05 02:42
話が出てるのでついでに。

チベット三州での死者数(1949-1979)

     ウ・ツァン  カム    アムド    合計
 拷問  93,560   64,877   14,784   173,221  
 死刑  28,267   32,266   96,255   156,758
 戦闘  143,253  240,410   49,042   432,705
 飢餓  131,072  89,916   121,982   342,970
 自殺  3,375    3,952    1,675    9,002  
障害致死 27,951   48,840   15,940    92,731
 合計  427,478  480,261  299,648   1,207,387

チベット亡命政府 情報・国際関係省『チベット入門 』鳥影社 p.102

204 :1:04/01/05 02:44
まず立場をはっきりしましょう。
以下にあなたの支持する立場がありますか?

【A】.中国政府がいうように、日本軍は南京の陥落と同時に、兵民を問わず
虐殺し、強姦し、掠奪を、組織的に行った。

【B】.市民に攻撃を加えなかった。
陥落後に行われたのは、掃討戦と便衣兵の摘発、場合によって処刑、だけで
ある。
それ以外は単発的に数件あった、日本兵個人の非行行為である。


  『B-A』
   「1」.便衣兵と間違わて処刑された市民もいるはずで、そもそも処刑は違法
   である。

   「2」.便衣兵に間違われて処刑された市民が全くいなかったと断言はできないが、
   当時そのような訴えはなく、兵民分離は日本人だけで行われたわけではないので、
   概ね問題なく行われただろう。
   また、便衣兵の処刑は国際法上違法ではなく、敵意を示さない者は解放して
   いた。


205 :2:04/01/05 02:44
  『B-B』
   「1」.犯罪は個人によるものだが、事実上黙認されており、処罰されることもなかった。

   「2」.厳しく戒められており、犯罪をおかしたものは厳罰に処せられていた。

  『B-C』
   「1」.犯罪数は多く、安全委員会の記録では数十〜数百件にものぼる。

   「2」.全て中国人の訴えをそのままタイプしただけのもので、裏をとったわけでも
   なく、日本関係者が安全委員会とともに現場に急行しても、犯罪の痕跡すら
   なかったということが度々だった。
   おまけに、多くの犯罪は便衣兵が日本兵の仕業に見せ掛けた工作活動の結果
   であり、記録されている事件の多くに告発者、目撃者、被害者、記録者
   などの不備が存在する。


上記のうち、自分の支持する立場があるなら、どの立場を支持し、その理由
を表明しましょう。
できれば、他の立場を支持しない理由も。


206 :無名草子さん:04/01/05 02:58
>>196
貧困などの社会的要因などすぐに解決できるものではなく、そんな簡単に
解決できるなら、世界からとっくの昔になくなってるでしょう。
なら、その貧困がなくなるまで、テロリズムを放置すればいいの?
そんなわけはないでしょう。
罪のない人たちを犠牲にするような無差別テロをなくすために強権発動が
必要ならそうするでしょう。
だからこそフジモリを支持する人も多かったんじゃないんでしょうか?
私にはフジモリの失政よりも、もっと生臭い権力闘争や、人種的な問題が
裏にあるような気がしますけどね。

207 :無名草子さん:04/01/05 02:58
このスレをむりやり南京騒動に変質させようとしているゴキブリがいるな。

南京騒動で騒ぎたいなら、別にスレ立てろよ。

208 :無名草子さん:04/01/05 05:11
やはりこのスレ、似た体質の人間が集まって来ますな。
ありきたりの展開なので、安心して見ていられますな。

209 :無名草子さん:04/01/05 05:13
似た体質ウンヌンでなく、無理やり混同させようという
あからさまな妨害があるわけで……。

フレームアップするなよ。(苦笑

210 :無名草子さん:04/01/05 05:26
南京大虐殺の主な原因はセロトニン不足
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1054474485
南京大虐殺について違う角度から考察
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/kova/1061653746
■■再び問う!南京大虐殺はあったのか!?■■
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1072972672
台湾人は南京大虐殺をどう思う?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/taiwan/988208580
南京大虐殺 夏の陣
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1030622486
【偏向】長崎放送南京大虐殺【肯定】
http://society.2ch.net/test/read.cgi/mass/1039021567
【御注進】南京大虐殺40万人!by産経新聞
http://society.2ch.net/test/read.cgi/mass/1039557069
南京大虐殺の「手段」について考えるスレPART3
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/asia/1061183767
南京大虐殺記念館を爆破してもいいですか?
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/asia/1061464370
南京大虐殺報道めぐり遺族が朝日など提訴3
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/asia/1068250815
南京大虐殺はあったの?無かったの?
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/news2/1054817046
南京大虐殺はデマ
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/news2/1067867606
13. 南京大虐殺はあったの?何万人殺ったの?11万
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/news2/1070615589

211 :無名草子さん:04/01/05 05:28
ゴキブリホイホイスレッド・・・

212 :無名草子さん:04/01/05 19:21
だからマルコポーロ廃刊に敷衍して推察すればいいのに。
もっとも、花田の単行本出版のさいに更に圧力加えられるくらいだからな。

213 :無名草子さん:04/01/06 23:08
南京虫逃げたかw

214 :焚書:04/01/06 23:16
・・・多くの脚注のついた学術的歴史書が始めて大々的に焚書処分にあったのは1980年代初頭であった。
その犠牲者は退職判事の書いた本であった。
この判事は、アウシュヴィッツ強制収容所で犯罪を犯したと告訴されている被告に対する裁判の歴史的・法律的土台を分析していた。
この判事は「正史」に明確に反対し、「間違った」結論に達していたために、彼の本は没収され、破棄された。
それだけではない。この判事シュテークリヒは年金をカットされ、
1951年に博士号を取得したゲッティンゲン大学から、その博士号を剥奪された。
これは、1939年にヒトラーが制定した法律に照らし合わせてなされた処分であった。
この法律によると、学位は、その所持者が「学術的に無価値である」ことが証明されれば、撤回・剥奪されるというのである。
今日のドイツの法律では、学位が1年以上の懲役に値する犯罪を犯すために利用されれば、無価値と判断されるということになっている。
シュテークリヒ博士は、時効のために訴追処分とならなかった。
したがって、彼に対してはいかなる刑も宣告されなかった。
にもかかわらず、ドイツ連邦憲法裁判所は、ゲッティンゲン大学の処分がまったく合法的であると裁定したのである

http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/rudolf_04.htm

215 :無名草子さん:04/01/06 23:18
>>213
呼び込むなよ

216 :無名草子さん:04/01/06 23:34
515 :世界@名無史さん :03/12/27 01:05
ここではどんな宗教を教えてくれるのですか?
518 :世界@名無史さん :03/12/27 01:43
>515
某カルト宗教団体の教義や、
某カルト政治団体(といっても一人二人でやってる趣味の自己満足)のお約束や、
某三流大学で屈託する、せこいネタでも翻訳で目立ちたいぞ俺、みたいな意見です。
意地でもホロコースト否定教みたいな〜
519 :世界@名無史さん :03/12/27 01:45
西岡、木村のひとりでよがってる姿を忘れてました。
いや〜ん、いいわあ、誰か見てェ〜ン、みたいな〜

217 :無名草子さん:04/01/06 23:38
あーあ、またカルト洗脳馬鹿が来たよ・・・

218 :無名草子さん:04/01/07 00:00
書籍板の住人が大人しいからといって、好き勝手に宣伝か。
本の題名をスレタイにつければなんとかなると思う根性が卑しい。
所詮、もはや2ちゃんでしか相手にしてもらえない話だ。

西岡のこの本、木村の本、もうトンデモ本として評価定まってるしな。

219 :無名草子さん:04/01/07 00:46
一般書籍板でこのスレをたてるとは度胸があると言うか読みが甘いと言うかw


220 :無名草子さん:04/01/07 11:24
心理学板では完全放置状態です(w

221 :無名草子さん:04/01/07 17:25
ユダヤ嫌いだからあげとく

222 :無名草子さん:04/01/07 17:34
ユダヤ嫌いだからあげとく

223 :無名草子さん:04/01/07 17:42
世界史板でも心理学板でもスレが上がってますねえ。
巡回してるんだな。

224 :無名草子さん:04/01/07 17:58
そうなんだw
そっちの方は行ってないので知らなかったよ。
日々脳内ユダヤと闘っているんだろうね。

225 :無名草子さん:04/01/09 23:43
ageとく

226 :無名草子さん:04/01/10 10:37
心理学板が盛り上がってる。

227 :無名草子さん:04/01/10 14:03
ガス室否定のスレが立つ

ガス室否定と南京大虐殺否定は同レベルとのレスが来る

南京スレになる

他でやれと非難される

南京の議論が他へ移動する

スレが廃れる

228 :無名草子さん:04/01/10 16:05
心理学板では、たまたま化学に強いやつがいたみたいで
否定派が苦戦してるなw
ああいう板違いの場所で、専門知識がないであろう人々を丸め込もう
とする奴は一番嫌いだ。オカルト板によく出没するタイプ。

229 :無名草子さん:04/01/10 17:15
>>228
続きを読んでないね。(w

230 :無名草子さん:04/01/10 19:04
でもさぁ、
こうやって中国ロビーによって南京も都合のいいほうへ
既成事実化されてるんだよな。

今度は強制労働問題だろ。

231 :無名草子さん:04/01/10 22:11
>>230
お前はまた南京スレにしたいのか?

232 :無名草子さん:04/01/10 22:19



プロパガンダスレッド放置願います>賢明なる書籍板住人諸氏



233 :無名草子さん:04/01/11 07:08
つーか、その2人ははるか以前に完璧に論破されてますので終了です。

2人の名前と、アウシュ「ヴ」ィッツ等のワードで検索すればすぐ出てきますので
おヒマな方はどーぞ。(何でドイツ語のwが「ウ」なんだろ・・・?)

234 :無名草子さん:04/01/11 14:42
>>233
突っ込みじゃなくて質問。
ポーランド語の音ではどうなんだろう?
私自身はフランクルの「夜と霧」を昔読んでから、ずっと「アウシュヴィッツ」と
書いていたんだけど、何か自信がなくなってきた。
こんな疑問でこのアホスレを伸ばすのは気が引けるがお許しあれ。

235 :フランクル:04/01/14 08:35
>>234
ポーランド語ではオシュヴィエンチム。

236 :無名草子さん:04/01/14 10:48
>>235
ありがとう!

237 :無名草子さん:04/01/14 11:59
>>229
>続きを読んでないね。(w

「続き」を読んで分かること。

青酸ガスに関する記述について質問していた人に対し、(否定派の)“誰か”はまともに対応していました。
ところが質問者がガス室否定には明白に否定的(というよりは“そうは言えない”というくらいの態度)を取るようになると、何故か“こんな人は相手にできない”みたいなことを言い出す始末。

いや〜分かりやすいねえw

238 :無名草子さん:04/01/15 06:54
戦後日本のホロコースト否定・反ユダヤ主義

1972年:日本赤軍の岡本公三、奥平剛士、安田安之らがイスラエルの
    テルアビブ空港で銃を乱射。24人を射殺、80人以上に重軽傷を負わせる。
1993年:本多勝一、『貧困なる精神』で木村愛二の著作を湾岸利権研究の書として引用。

1994年:木村愛二、『噂の真相』の九月号に『映画「シンドラーのリスト」 が訴えた
    “ホロコースト神話”への大疑惑』を発表=日本における公共雑誌でのガス室否定記事の初出。

1994年:『週刊金曜日』編集長の本多勝一と木村愛二意気投合。本多が中心になり同誌に木村の論文連載を企画。
    折衝の末、雑誌発表用の論文も完成し本多も了承。
  
1994年:本多勝一、マルコポーロ発表前に西岡昌紀の論文を「うち(週刊金曜日)で発表させて欲しい」と打診するも実現せず。

1995年: マルコポーロ2月号、西岡昌紀『ナチ「ガス室」はなかった』を掲載。国際的に紛糾し、ユダヤ人団体の圧力で廃刊

1995年:本多勝一ら『週刊金曜日』、廃刊事件を受けて連載計画を全面中止。
    アリバイ作りに文春批判と木村愛二批判キャンペーンを開始。木村とは以後数年に渡って中傷合戦に発展し、
    木村側が名誉毀損で訴訟を起こす。

1999年:二月十六日、東京地裁において木村愛二側の敗訴で結審。日本の裁判所が史上初めてガス室を認定。

2002年:辻本清美創設の「ピースボート」関係者18名、危険人物としてイスラエルで拘束。入国を拒否される。

239 :無名草子さん:04/01/15 13:42
本多vs.木村の裁判は判決文がネットのどこかにあったはず。

それによれば、本多側主張は「ガス室否定論に賛同してはいない」ということだったね。

240 :無名草子さん:04/01/17 23:22
逆に「南京虐殺は無かった」という論文を雑誌が載せたとして
「論争の場を提供しただけだ。全面的に賛成なわけではない」
で通ると思うか?

実際南京否定の主張を載せた雑誌に本多が
どのような言論を取ってきたか考えればいい。
おまえ自身の主張を鏡としろってw

変なのにひっかかったと恥じて沈黙してるならまだ分かる。
さも「文春と違ってガス室否定のデンパなんかわれわれは一度も相手にしてません」
みたいに印象付ける記事出して、木村、西岡どっちかの
ガス室ネタが載る寸前だったのはオクビにも出さないでやんの。
その上、いけしゃあしゃあと「読者の皆さん、文春はこんなゴロツキ雑誌ですよ。
『諸君』と一緒に廃刊したがまし」
とキャンペーン張ってんだからw 叩く絶好の機会と思ったんだろうな。

241 :無名草子さん:04/01/17 23:24
デンパと言うならそのデンパを世紀の大スクープみたいに思って
一番いれ込んでたのは誰だ?一歩間違ってれば廃刊になってたのは『週間金曜日』の方。
誰よりも熱心だったコイツが一番口汚くマルコポーロ批判してんだよw
どういう神経してんだろうな。
本当にガス室が胡散臭いと思うならどれだけ抗議受けようが貫き通せば良い。
それこそ、いつも言ってるように「被害者の前で」。
廃刊騒動が起きたら慌てて百八十度態度変えて、
保身図って相手を叩きまくってんだから。史上最低の恥知らずというか。
本多のルポには有名になったのも在るが、こういう信用ならない人物が書いた本って忘れない方がいいな。

「諸君」を廃止しろって言うならおまえの雑誌も廃刊しろよ。「信念と反骨のジャーナリスト」君。

242 :書籍板防衛隊:04/01/17 23:44
>>238>>240-241
世界史板にコピペしてるだけで、満足してなさい。
ここは終了ですよ(^^)

243 :無名草子さん:04/01/17 23:48
>>242
君がレスする事で保全されて行くんだよ(ワラ

244 :無名草子さん:04/01/23 21:21
アウシュビッツってやはり虚構だったんですね。よくわかりました。

245 :無名草子:04/01/24 02:23
ミステリーだけど
笠井潔の「哲学者の密室」は名著

246 :無名草子さん:04/01/24 10:34
>>244

ジサクジエン

247 :無名草子さん:04/01/28 16:12
デビュー記事である『噂の真相』は重要事だからよく知っとく価値あり。
学者の書くガス室ネタの本ではよくマルコポーロが
引用されてるが、一般ではそれだけと誤解されてる。
なんせ初出の文献なんだし、それを知らないのは学者として
不勉強と呼ばれても仕方ない。

248 :無名草子さん:04/01/30 23:12
アウシュビッツがユダヤの陰謀だったとは驚いた。
ユダヤ人がガス室で殺されたって言う証拠は一つもないんだよね。
死体も記録も全くない。あるのは証言だけ。

こんなの信じられないよ。

249 :無名草子さん:04/01/31 01:00
定期的に自作自演が来ますが、皆さんはスルーしましょう

250 :無名草子さん:04/01/31 10:15
でも、今までガス室でユダヤ人が殺されたって主張されていたところは
検証した結果、そんな事実はなかったとされてきているんだよな。
唯一残っているのが、アウシュウィッツ。

でも、そこにはユダヤ人の遺体も証拠の書類も何もない。
ユダヤ人虐殺を主張し始めたソ連が10年間にわたり検証を拒否してきたからだ。

ペパーダイン大学では、「真実は検証をおそれない」と教えているらしいな。
何でガス室については検証することすらも激しく拒否するんだろうか?
そのことだけでうさんくさく感じる。

251 :無名草子さん:04/02/01 22:20
スルーってか、「ガス室」では主張されていることすべてが真実でないのは確かだな。

252 :無名草子さん:04/02/13 14:31
−−「ガス室」があったとされる収容所は幾つかありますが、その代表
  とされるのは、何と言っても、ポーランドにあったアウシュウィッ
  ツ(ポーランド名・・オシュヴィエンチム)の収容所でしょう。
  アウシュウィッツ収容所というのは、実は二つの収容所に分かれて
  いるのですが、その両方を含めた意味での「アウシュウィッツ」こ
  そは、「ガス室大量殺人」が行われた場所として、誰もが耳にした
  事の有る収容所であるに違いありません。ところが、そのアウシュ
  ウィッツについて、アメリカやイギリスは戦後、ニュールンベルク
  裁判でドイツを裁いた際、実は、何の実地検分もしていなかったの
  です。−−
(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」日新報道・1997年
 91〜92ページより)
http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html 

253 :無名草子さん:04/02/13 14:40
−−この事について、当時のアメリカ当局者は、「ロシア人
  (ソ連の事)が許可しなかったので、調査ができなかっ
  た」等と説明していますが、それが本当なら、当時ポー
  ランドを支配していたソ連は何故、ポーランドで第三国
  が実地調査する事を許さなかったのでしょうか?また、
  「ロシア人が許可しなかった」と言う、そのアメリカ
  当局者の説明が本当かどうかも分かりません。いずれに
  せよ、アメリカやイギリスを含めた連合国は、当時、そ
  の理由はともかくとして、アウシュウィッツ等に「ガス
  室」が本当に存在したかどうかの科学的または司法的
  調査を全くしていなかったのです。これは、言ってみれ
  ば、殺人事件の通報が為された後、実地検証がされない
  まま、関係者の「証言」だけで裁判が行なわれた様な物
  です。今日、ポーランド政府がアウシュウィッツなどで
  公開している「ガス室」なる物は、こうした不可解な経
  緯の後、公開されている物だと言う事を、先ずは御記憶
  頂きたいと思います。−−
(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」日新報道
 91〜92ページより)
http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

254 :無名草子さん:04/02/13 14:40
http://www.nsjap.com/marco/marco0.html

255 :無名草子さん:04/02/14 11:23
>>1が一人でがんばるスレはここですか?

256 :無名草子さん:04/02/20 14:23
http://www.nsjap.com/marco/marco1.html

257 :無名草子さん:04/02/20 14:31
−−「定説」側論者によると、六つあった「絶滅収容所」の内、
  先ず、ソビボル、ヘルムノ、トレブリンカ、ベルゼック、
  の四か所では、「ディーゼル・エンジンで一酸化炭素を
  発生させるガス室」が使われたのだそうです。ところが、
  車に詳しい方はすぐお気付きだと思いますが、これは、非常
  におかしな話なのです。何故なら、ディーゼル・エンジン
  という物は、ガソリン・エンジンとは違って、一酸化炭素
  を極く微量しか排出しない事が、その工学的特徴だから
  です。−−
(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」日新報道・
 1997年 98ページより)
http://www.ihr.org
http://www.jca.apc.prg/~altmedka/gas.html

258 :無名草子さん:04/02/20 14:39
−−ディーゼル・エンジンで一酸化炭素を発生させる「ガス室」と
  言う物は、工学的、医学的に、不可能ではないのかも知れま
  せんが、不合理極まり無い物です。ガソリン・エンジンの方
  がはるかに多量の一酸化炭素を排出するのに、それを使わな
  かった、と言うのですから。そんな物を「大量殺人」の手段
  として選択したと言う話自体どうかしていますが、注目して
  頂きたいのは、この「ディーゼル・ガス室」の実物が現存し
  ないと言う事です。ソビボル、ヘルムノ、トレブリンカ、ベ
  ルゼックと言う、「ドイツがガス室を隠滅してしまった」場
  所にそれが在ったと言うのですが、これは単なる偶然なので
  しょうか?−−
(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」日新報道・
 1997年98〜99ページより)
http://www.ihr.org
http://www.jca.apc.org/~altmedka/gas.html
http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

259 :無名草子さん:04/02/20 14:39
http://www.ihr.org

260 :無名草子さん:04/02/20 22:32
当時、アメリカの処刑で用いたガスは何?
それと兵器の毒ガスは?
参考にならないかな?

261 :無名草子さん:04/02/21 11:36
>>1は西岡だろw

262 :無名草子さん:04/02/22 17:42
>>260
アメリカでは青酸ガス(HCN)が死刑に使われて来た。ただし、
その青酸ガスを発生させる方法はポット法で、チクロンBから
青酸ガスを発生させるなんて悠長な方法は採られていない。

263 :1/2:04/02/23 20:23
西岡さんは内科のお医者さんだそうです。私はいま、内科にかかわると思われる病気を抱えているのですが、
彼の診断も治療も受けたくありません。読めもしないドイツ語を読めるふりをしたり、実際に読んでいる文
献に書かれていることを、まるで違って解釈したり、初歩的あるいは基本的な研究の成果を摂取も理解もで
きなかったり、単純な嘘を嘘だと判断できない医者に、いまのところはまだ自分の健康を委ねるつもりはまっ
たくありません。私は東京都多摩市に住んでいますが、彼がこの地域の診療所や病院に移ってきたら、ぜひ
どなたかから情報をいただければと思います。


264 :2/2:04/02/23 20:25
しかも実をいうと、ディーゼルエンジンの話は、西岡さんのオリジナルな「研究」の成果でもなんでもなく、
ベルクという否定派の論文の受け売りでしかありません。ベルクに対しては、いくつもの批判があります。
まっとうな研究者であったら、こうした場合、両者の議論の対立点をきちんと紹介して、そのうえで自分で
発掘した資料にもとづいた見解を組み立てます。私は学部学生の卒論に対してだって、それを要求します。
西岡さんはその手続きをいっさい取っていないのです。これでは私は学生の卒業論文としても不可(私が勤
務している大学ではX評価と呼びます)をつけます。
 つまり、落第です。
http://clinamen.ff.tku.ac.jp/Holocaust/Points2/Sobibor.html


265 :情報求む。:04/03/04 14:25
私はコルチャック先生の本などを多数読み、非常にホロコーストに憤りを持ちました。
どなたか、トレブリンカ絶滅収容所に関する文献(映像、本なんでも)に詳しい方からの
情報を希望します。
アウシュビッツの文献は多数あるのですが、トレブリンカとなるとまったくもって資料が
乏しくなります。
一応私が確認したトレブリンカに関する詳しい文献は「ショア」位です。


266 :無名草子さん:04/03/06 10:04
>>265
以下のサイトで、SEARCHという所(検索エンジン)に
Treblinkaと入力するといいと思います。
   ↓
http://www.ihr.org

267 :無名草子さん:04/03/06 10:10
>>265
以下のサイトをお読み下さい。トレブリンカに関する極めて
興味深い情報が書かれてあります。
http://www.ihr.org/jhr/v19/v19n3p20_rader.html
http://www.ihr.org/jhr/v12/v12p133_Allen.html

268 :無名草子さん:04/03/06 10:18
>>265
−−・・この「ディーゼル・エンジンで一酸化炭素を発生させる
  ガス室」という物は、不可能ではないかも知れませんが、驚
  くほど不合理な物です。しかし、その点については次章で論   
  じるとして、その「ガス室」の実物は、ともかく、今日、ト
  レブリンカの収容所跡には現存しないのです。「ドイツが隠
  滅したから」なのだそうですが、「ガス室」のみならず、こ  
  の収容所その物が、今日、完全に消失しているのです。(ド
  イツが、「定説」側論者が主張する様に「隠滅」を企図して
  収容所を破壊した証拠はありません)
(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」日新報道・
 1997年・190ページより)
 


269 :無名草子さん:04/03/06 10:27
>>265
−−このトレブリンカについては、ドイツ軍が撮影した航空写真が
  残っています。ただし、このドイツ軍の航空写真は、戦後、ア
  メリカが押収して保管していた物で、89年に成って、ようや
  く公開された物です。ですから、60年代に西ドイツでトレブ
  リンカ裁判が開かれていた時には全く知られていなかった物で
  すが、その航空写真を見ると、60年代に西ドイツで行なわれ
  たこのトレブリンカ裁判の「事実認定」とは食い違う事実が幾
  つも見て取れるのです。例えば、この収容所の敷地の形は、ト
  レブリンカ裁判によれば、189ページにお見せしたように、
  長方形をしていた事に成っています。それは、もう一度言いま
  すが、この裁判で採用された「証言」が、トレブリンカ収容所
  の敷地はそんな形をしていたと述べているからです。ところが、
  89年に公開された航空写真を見ると、トレブリンカ収容所の
  敷地の形は長方形ではなく、扇形をしていた事が、一目瞭然な
  のです。又、この航空写真を見ると、トレブリンカ裁判で採用
  された「目撃証言」が「ガス室」が在ったと言う場所に建物は
  写っていませんが、これは、「隠滅されたから」なのでしょう 
  か?
(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」」日新報道・
 1997年・191〜192ページより)
http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html

270 :無名草子さん:04/03/06 10:38
>>265
−−・・もう一つ、トレブリンカ裁判で採用された「目撃証言」
  の信憑性に疑問を投じる事柄が有ります。それは、80年代
  後半から90年代初めにかけて、アメリカ、ソ連、西ドイツ、
  そしてイスラエルを巻き込む形で発生した、或る冤罪事件が
  投げかける疑問です。即ち、80年代に、ジョン・デムジャ
  ンジュク(John Demjanjuk)氏と言うウクラ
  イナ系アメリカ人が、80年代に、ソ連からアメリカへの
  「通報」によって、戦争中トレブリンカで「ガス室」を運転
  していた、言う嫌疑を掛けられ、アメリカからイスラエルに
  身柄を移された後、一旦は死刑の判決を受けたと言う事件で
  す。この事件について詳しくお話しする余裕は有りませんが、
  同被告が、93年にイスラエルの最高裁で無罪を勝ち得た事
  は、氏がトレブリンカで「ガス室」を運転していた等という
  ソ連発の「情報」がいい加減な物であった事を証明していま
  す。そして、この冤罪事件の過程で、トレブリンカの元被収
  容者と名乗る人物が複数登場したのですが、彼らの「証言」
  の虚構がこの裁判の中で露呈した結果、今お話しているトレ
  ブリンカ裁判が、実はいい加減に「証言」を採用していた事
  が、間接的に暴露される結果と成っているのです。−−
(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」日新報道・
 1997年・192〜193ページより)

271 :無名草子さん:04/03/06 10:46
>>265
図書館に行って、読売新聞の縮刷版で、次の記事をお読み
下さい。
「『ユダヤ人虐殺』容疑に無罪」(読売新聞・1993年
7月30日)
−−[エルサレム29日・村上大介]
   イスラエル最高裁は、第二次大戦中、ナチ占領下の
   ポーランドにあったトレブリンカ・ユダヤ人強制収
   容所の残酷な看守「イワン雷帝」だったとして起訴
   されたウクライナ出身の元ソ連兵イワン・デミャニ
   ュク被告(73)に対して無罪を言い渡した。判決
   は、五人の判事の全員一致で、被告が「雷帝」とは
   別人であると疑う合理的な理由があると述べ、一審
   特別法廷の死刑判決を覆した。−−
(以下の本文は長いので省略します。文中の「デミャニュク」は、
 「デムジャンジュク」のウクライナ語発音)

272 :無名草子さん:04/03/06 10:49
>>271
この読売新聞の記事(1993年7月30日)の本文の終わりの
部分だけを引用します。
「・・・これまでホロコーストをめぐるナチ戦犯裁判では、
 生存者の証言が疑われる事はほとんどなかったが、デミャ
 ニュク裁判で、それがああ大きく揺らいだ。」

読売新聞、なかなか思い切った事を書きますね。

http://www.ihr.org

273 :無名草子さん:04/03/06 10:59
−−・・この裁判(トレブリンカ裁判)の初期に、注目すべき
  事が起きているのです。即ち、この時、トレブリンカの元
  被収容者たちの中から、自分はトレブリンカにいたけれど、
  「ガス室」など見たことも聞いた事も無かった、と証言す
  る人々が、幾人も現れたのです。・・・・ところが、この
  裁判を開いた西岡ドイツの司法当局は、何故か、これらの
  証言を全て無視しています。そして、「ガス室」があった
  とする趣旨の「証言」ばかりを採用し、トレブリンカ収容
  所がどんな収容所で、どんな「ガス室」があったか、と言
  うような「事実認定」を行なっているのです。当然ですが、
  このトレブリンカ裁判が認定した「事実」は、「定説」側
  歴史家たちのトレブリンに関する記述にも影響を与えてい
  ます。−−
(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」日新報道・
 1997年・188ページ)

274 :無名草子さん:04/03/06 11:03
−−・・「定説」側論者によると、このトレブリンカ収容所
  には、「ディーゼル・エンジンで一酸化炭素を発生させ
  るガス室」があったと言う事になっています。しかし、
  ディーゼル・エンジンの工学的特性の一つは、一酸化炭
  素を極く微量しか排出しない事なのです・ですから、こ
  の「ディーゼル・エンジンで一酸化炭素を発生させるガ
  ス室」と言う物は、不可能ではないかも知れませんが、
  驚くほど不合理な方法なのです。−−
(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」日新報道・
 1997年・189〜190ページ)


275 :無名草子さん:04/03/06 11:19
http://www.ihr.org/jhr/v19/v19n3p20_rader.html

276 :無名草子さん:04/03/06 21:55
西岡さん。こんなところで布教活動ですか?
あなたであることはバレバレですよ。

西岡氏が以前amlというメーリングリストに流していたメール
http://www1.jca.apc.org/aml/9912/15297.html

1行あたりの文字数や引用の仕方が酷似しています。
本人でなかったら、何故こんなに似ているのでしょうか?

西岡氏と高橋氏・山崎氏との論争の経緯
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/holocaust/round5.htm
http://clinamen.ff.tku.ac.jp/Holocaust/Nishioka.html

277 :無名草子さん:04/03/06 23:03
またやってたのか(呆

妄想宣伝マニアは、相手にされない

278 :無名草子さん:04/03/17 20:17
急に来なくなったところを見ると、本当に西岡だったみたいだなw

279 :無名草子さん:04/03/20 12:00
晒しage

280 :無名草子さん:04/03/22 19:20
ところで、トレブリンカにガス室はあったの?

281 :無名草子さん:04/03/22 19:24
とにかく、「ガス室」の「実物」は、現地(トレブリンカ)にはあり
ません。「証言」が信じられるかどうかに全てはかかっています。

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